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記事・資料 2005年1月〜12月

新聞や雑誌などへの寄稿を掲載しています。

「「迷惑施設」計画と透明性」(ぎょうせい「晨」2000(平成12)年12月号)
「自治の転換期と新たな視点」(ぎょうせい「判例地方自治」2000(平成12)年10月号)
「スタートスタート! 地方分権」(有斐閣「法学教室」2000(平成12)年10月号)
「政策判断と責任」(公職研「地方自治職員研修」2000(平成12)年10月号)
「ニセコ生活の家」(財団法人日本知的障害者協議会「Aigo」2000(平成12)年7月522号)
「情報化に思う」(地方シンクタンク協議会「地域研究交流」2000(平成12)年7月Vol.16 No.1)
「情報共有にもとづく住民自治」(日本共産党中央委員会「前衛」2000(平成12)年5月号)
「心に染み入る「豊かさ」を求めて」(北海道自治政策研修センター政策研究シリーズ「分権時代における『豊かさ』の実現にむけて」2000(平成12)年3月発行)
「座学・交流・実践」(時事通信社「地方行政」2000(平成12)年3月13日第9257号)
「新時代へ向け科学的根拠と大胆さを」(ぎょうせい「地方財務」2000(平成12)年1月号)
「情報化のパラドックス」((財)愛媛県まちづくり総合センター「舞たうん」2000(平成12)年1月Vol.63)
「2000年に想う」((財)北海道青少年育成協会「ほっかいどう青少年」2000(平成12)年1月号)



「「迷惑施設」計画と透明性」
(ぎょうせい「晨」2000(平成12)年12月号) 

住民の納得が鍵

廃棄物焼却や埋め立て施設など、いわゆる迷惑施設の整備を巡り、全国各地でいろいろな摩擦が起きている。この摩擦は、設置者となることの多い行政と住民との対立ばかりではない。その問題に対して賛否を異にする住民間の摩擦もあるし、その問題に特化した関心を持つ地域外の住民にも波及することもある。いずれにしても、こうした摩擦は、地域の課題を解決してゆく上で、越えなければならない大きなハードルであり、見過ごすことはできない。本稿では、この迷惑施設にかかる摩擦を取り巻く、いくつかの留意点や課題を考えてみたい。 

厚生省が平成九年一月に発表した「ごみ処理に係るダイオキシン類発生防止等ガイドライン」を一つの契機として、廃棄物処理に関する全国的な関心が従前以上に高まると同時に、全国各地で廃棄物処理施設の改善や新規整備が盛んに議論、実施されている。これに呼応して、これら整備に係る各種の摩擦も増大しており、廃棄物施設は迷惑施設の代名詞的存在になっている。 

また、これらの施設整備は我々が生活をしてゆくために、少なくとも現時点では基本的に必要なものであるとの認識も多く、そのことが逆に摩擦を高める要因ともなっている。つまり、みんなにとって必要な施設であり便益は広く多くの方が享受するが、整備による弊害は限られた地域にとどまり、その地域では、理論や理屈では計りえない被害者意識のようなものが生まれるのである。この意識をどう説明し、納得を得るかが、迷惑施設整備の大きな鍵となっている。 

「公開」整備計画の原則に

ニセコ町でも、一般廃棄物の減量化や中間処理施設の広域化、非管理型最終処分場から管理型への転換など、廃棄物の処理に関し解決すべき課題が多く苦慮しているところである。ここでは現在進行中である本町の管理型一般廃棄物最終処分場の建設計画(平成十三年度着工予定)に的を絞って考えてみたい。 

厚生省では平成七年に、全国の自治体に対し、非管理型埋立地を可及的速やかに閉鎖し新たな処分場の建設に着手するよう指示をしている。しかし、ニセコ町では使用中の非管理型最終処分場の容量に余裕があることなどから、本格的な改善に未着手であった。しかしこの指示を待つまでもなく、いずれは処分場の残容量も尽き、新たな整備が必要との認識を持っていた。そこで平成六年度末から、「そう遠くない将来には、廃棄物対策に多額の出費が見込まれること」など廃棄物を取り巻く状況を、町政懇談会などの場面を通して住民に説明を繰り返していた。その後、厚生省は平成一〇年三月に、非管理型埋立地に対して緊急の対応を迫っており、本町の最終処分場も、その際に対策の必要な処分場と位置付けられ、管理型一般廃棄物最終処分場の建設が急務の課題となった。そこで、他の廃棄物対策との日程を勘案しつつ、平成十四年度末を目標として管理型最終処分場の建設を行なうこととした。 

整備計画の樹立にあたっては、基本的に全ての事項は公開が原則であり、透明性の高い計画づくりを進めることとした。この方針について、さほどの異論はなかったと感じているが、一部には公開し過ぎることで、本来順調に進む作業も進まなくなるとの懸念も見え隠れしていた。 

この中で町として特に配慮したのは、適地選定の過程であった。迷惑施設であるがゆえに、適地選定に際し、当該地域に有利となる何らかの交換条件を提示して裏で話をまとめるケースも多いと聞く。しかし、こうした準備が、憶測や噂を呼び、住民の不満を誘引することもある。だから適地選定の過程は、特に透明性に配慮して実施すべきと考えていた。そこで、候補地を選定する原案の段階(白紙の状態)から全てを公開しながら話を進めることとした。また、どのように住民参加を行なうべきかなど、計画決定の過程そのものについても公開の議論の対象とした。 

「議論の経過が不透明」 −−−住民の意見にショック

適地の選定は、まず町有地を対象として、面積などある一定の条件の中で候補地になりそうなところを探した。次に庁内の土地に関連する担当課長レベルの持っている情報をもとにして、民有地の中で可能性のあるところを調査した。その結果、最終処分場を所管する課として特別の意図のない候補地が、町有地を中心として機械的に六ヶ所選定された。この六ヶ所について、廃棄物処分場に関する専門知識を有する民間会社に調査を依頼し、選定をする手がかりとなる客観的なデーター収集を行った。その結果を縦覧に付すともに、公開の一般廃棄物検討委員会、住民が自由に参加できる検討会議、役場内部の管理職会で議論をし、最終的に二ヶ所が有力候補地となった。さらに町議会議員全員による協議の意見も伺った結果、町としての最終処分場建設予定地の決定を行った。この間の経過、議論など、町が主催するものは全て公開を原則として進め、話し合いの結果もできるだけ町の広報などで周知するよう努めて来た。 

しかし、平成十一年十二月下旬に建設予定地区の方から処分場建設には反対の意見が届けられ、その後、建設予定地区近傍数戸の皆さんによる反対運動が進められた。廃棄物最終処分場は、迷惑施設であるため、みんなが賛成する、喜ばれる施設ではない。だから、反対の声が出ても不思議はないと考えていた。しかし、反対の意見の中に「議論の経過が不透明」、「書類を改ざんしている」といった主張があった。町としては、(必ずしも十分とは言い切れないが)相当な説明を行ない、場合によっては情報を公開し過ぎとの意見もあるほど、全ての情報を公開しながら計画づくりを進めて来たところであり、これらの指摘には正直なところショックを隠し切れなかった。しかし、あくまでもきちんと説明をしてご理解を頂きたいとの姿勢を崩さないことを基本にしながら話し合いを継続することとした。 

だが反対された方々からは、随分と厳しい叱責を受け、町の担当者も相当な心の痛手となり、基本姿勢が萎えかけたことがあった。話し合いが原則だと頭で分かっていても、小さな町の中での対立は、個人的な感情の溝を作り、話し合うという行動が膠着した状態になる懸念もあった。しかし最終的には、色々な葛藤を乗り越えて話し合いを行なうことによって、当初の絶対反対の姿勢から、将来に向かってともに頑張ろうとの気持ちが確認できた。現在は、よりよい最終処分場をいかに建設するかを考え、ごみの減量化や再資源化率の向上についても知恵を出し合おうと、前向きな議論の芽が育ちつつある。反対をされた方々は、元来、廃棄物に関して相当な知識を持った方たちであり、町にとって反対運動はつらい経過ではあったが、困難を乗り越えてともに行動できることは有り難いことだと感じている。 

住民合意を形成するために

迷惑施設について住民合意を図ることは容易ではない。今回のニセコ町での経過を通して感ずることを列挙したい。 

1)その迷惑施設の必要性やその問題を取り巻く客観的な状況などを十分にお知らせすること 

2)透明性を高め議論の過程が多くの人に明らかになっていること 

3)必要なときに、住民がその議論に参加できること 

住民合意のためには、少なくとも以上の三点が必要だと感ずる。1)は地域別の懇談会や住民への説明会、「まちづくり町民講座」と称する学習の場を、数度にわたって開催し、廃棄物を取り巻く一般的状況の周知を行っていた。2)は町の主催会議などは原則公開であることをはじめとして、あらゆる情報を隠さないことを基本姿勢とした。3)は縦覧制度や意見を表明するための仕組みを多くするとともに、誰もが参加できる会議を設けることなどに配慮した。ニセコ町では、こうしたことが総合的に絡み合って、なんとか良い方向に進んできたのだと考える。 

次に、こうした公開と議論を前提とする取り組みを進めるに当たっての課題をいくつか列挙する。 

1)住民も役所側も手間や時間がかかる 

事業を進める上で、各種の情報を公開することに対し、事業が円滑に進まないこともあると不安視する傾向も否定できない。また公開は相当に手間のかかる作業であることも事実である。参加は多くの住民が望むことではあるが、住民も相当の負担をともない、日常の仕事などを持ちながら参加を続けることは容易ではない。 

2)国などの補助制度や事業採択の日程と噛み合わない 

国などの財政支援を受けて実施する事業が多い中で、補助事業への採択や予算執行の日程と現場での議論の日程は一致しないことが多い。また単年度予算が原則であり、協議が整わないことを理由として、予算を繰り越すことなどが必ずしも容易ではない。 

3)法令などで実施時限が決められている場合、十分な議論の時間がない 

廃棄物に対する規制など実施期限が定められているものが多く、それに間に合わせるためには、実質議論の時間が多くはない。 

4)自分に直接影響のない課題は、住民の関心が低い 

課題となっている事柄について、住民の皆さんに十分な説明を行ない、きちんとした状況把握をしてもらうことが、迷惑施設整備の必須事項と考えるが、直接、自分に影響の及ばない事柄に関し住民の関心は高くない場合が多い。その結果、事前に説明などを繰り返しても関心が高まらず、問題が身近で具体化してから反対運動が起きるケースが多い。 

住民の中に飛び込む勇気

公開と議論を前提とする取り組みには、こうしたいくつかの課題が存在している。また時間がかかるなどの欠点もありそうに見える。しかし、透明性を確保し、参加による十分な議論が、急がば回れの結果をもたらすのではないかと強く感じている。行政の側には、議論による摩擦を恐れないで住民の皆さんの中に飛び込む勇気が必要だと考える。また今後は、十分な議論を保障するために、迷惑施設整備の財政支援制度や予算執行は、単年度予算などに縛られない柔軟さを持たせるなどの制度変更も必要だと感ずる。 

迷惑施設について住民合意を得るためにはは、透明性の確保と参加が必須だと、改めて強く考えている。


「自治の転換期と新たな視点」
(ぎょうせい「判例地方自治」2000(平成12)年10月号)

事例

分権社会の到来などを一つの契機として、自治体の政策形成や地域経営のスタイルが大きな転換点を迎えています。この中で、住民、議員、自治体職員、そして首長のあり方も大きく変化することが必要とされています。ニセコ町では、こうした転換期の中で、あるべき自治の形を、情報共有やコミュニケーションを中心に据えて、模索しております。ここでは、ニセコ町の取り組みを通して、地域での仕事の進め方やその心構えなどを探ってみたいと思います。

ポイント

・時代の風を読む:変化の時代の中では、その変化の本質を見極めることが大切です。

・自ら考え、自ら行動する:分権型社会の中で重要視されているのは地域の自立です。ニセコ町では「自ら考え、自ら行動する」ことを地域づくりの理念としていますが、自ら考え行動するためには何が必要なのか、情報共有と住民参加、そして職員のあり方を中心に考えてみます。

・連携による高位平準化:全ての自治体が、その自治体に必要な全ての能力を備えることはなかなか難しいものです。そこで自治体同士が連携しあってお互いの能力を補完しあうことや、お互いの取り組みから学ぶことが重要です。この取り組みによって、自治体それぞれの能力が高いレベルに引き上げられること(高位平準化)などを考えてみます。

・新分野への取り組み:自治体の職員が、常に新たな目線で自分の仕事を点検し、チャレンジし続けることは、必ずしも容易ではありません。そこで新たな分野に取り組むための心構えなどについて考えてみます。

解説

T 時代の風を読む

@ 第三の改革

多くの方が、今のこの時代のことを「第三の改革」と呼んでいます。これは、明治維新、戦後改革に続く三番目の改革との意味です。しかしこの第三の改革は、従前の二つの改革とは違っている点が、少なくとも二つあると私には感じられます。

一つは、この改革の始まり、きっかけが必ずしもはっきりしないことです。明治維新は、ペリーの浦賀への来航(一八五三年)というとても分かりやすい一つの始まりがあります。戦後改革は、一九四五年の敗戦という、もの凄く大きなきっかけがありました。しかし、今回の改革にはこうした明確なきっかけが見られません。このため多くの国民の皆さんが大変な時代だと感じつつも、本当の意味で心の底から、この時代の大変さ、変化を認識しているのか、危機感を持ってあらゆることに対処する姿勢を持っているのか、私は少し不安に感じています。

二つ目は、今回の改革には「お手本」が存在しないことです。明治維新には西欧の文明が、戦後改革にはGHQなどよる指導がありました。もちろん今も、参考にすべき事例は海外にたくさんあります。しかし、日本の社会がある一定程度の成熟期に入って、海外の諸国とは違った日本としての独自のスタイルが良くも悪くも定着しております。こうした中では、海外の事例のどれかを移入すれば、問題が一足飛びに解決することばかりではありません。

ii 自主的に変貌する

つまり「第三の改革」は、喉に刃を突きつけられ、明らかに分かる形で我々に改革を迫っていません。だから社会の様々な分野で、その危機的状況を論ずる場面があったとしても、その危機的状況を多くの人が、直接肌で感じていないのではないかと思うのです。しかし現状は、行政、財政、経済、金融、社会保障、教育、環境、食料など、広い分野に及んで深刻な状況となっております。だからこそ一人でも多くの方が、日本のおかれている現在の状況を正しく知ることが必要です。この現状に対する認識をきちんと持つことがなければ、第三の改革は始まらないのだと強く感じています。また必ずしも万能な手本が存在しない中で改革を進めるためには、我々自らの手によって自主的、自立的に変貌しなければなりません。

自治体の職員もこうした時代の風をしっかりと感じ、その上で仕事を進めることが肝心です。


II 自ら考え、自ら行動する

i 新たな地域づくりの工夫

日本の経済は、基本的には戦後一貫して成長を続け右肩上がりで推移してきました。しかし、それも終焉を迎え、出生率の低下に伴う人口減とも合わせ、我々の社会のあり方が大きく変わろうとしています。また人々の価値観も変化し、かつ多様化しているといわれています。こうした中で行政と住民との関係も変わらざるを得ません。つまり一方から他方に向かって何かを要望し実現するという関係を維持することや、お互いの意識が大幅に乖離した中で上意下達的手法であるべき社会の実現を目指すことは、極めて難しい時代に入ったと言えます。つまり人任せやお仕着せの地域づくりは終わりを迎え、責任を持って、自分たち自らが考え、自らの行動によって地域をつくる時代になったのです。そのためには住民や行政はもちろん、地域の様々な組織・団体との協働作業や住民参加が基盤となることが極めて大切です。また地域の自立的意思決定のためには、議事機関としての議会の役割も、今以上に高まるものと考えられます。

i 情報共有と参加

住民・行政・議会などが、渾然一体となって自ら考え行動する地域づくりを目指すために、私が留意すべきだと考えているのは次のことです。

・地域課題の実態を明らかにして、多くの人に認識をしてもらうこと
・地域課題を部分、個別に捕らえるのではなく、総合的に地域全体で認識すること
・多様な価値のぶつかり合いを避けることはできないこと

つまり自ら考えるためには、考えるための「もと」になる情報の存在が不可欠なのです。また地域の課題を部分的に捕らえていたのでは、その課題に大きく関係する組織・団体のエゴや利益誘導に偏る心配もあります。そこでニセコ町では、地域を考えるもとになる情報は原則的に公開することが基本だと考えております。このことは、求められてから情報を開示する、いわゆる情報公開とは多少性格が違なり、自ら考えるための「情報共有」と位置付け、求められなくとも提供すべきものと考えています。

ii ニセコ町の取り組み事例

・予算の説明書

地域のことを考えるもととなる情報の中でも、とても大切なものの一つに予算があります。しかし現在の地方自治法の規定による予算書だけでは、必ずしも十分にお金の使い道が、多くの町民の皆さんには伝わりません。そこで図なども使った事業別の予算説明冊子を作成し、全世帯に配布しております。この冊子の後半には、資料編として公共施設の維持管理費と歳入、全ての補助団体と補助金額、町債の残高や他町村との比較などのデータも載せております。こうした情報によって、少しでも予算に関心を持ってもらいたいと考えております。

・まちづくり町民講座

年に十回程度、町の課長が講師となった講座を開催しております。テーマは、町民の皆さんが日ごろあまり知ることのない役場各課の仕事内容や、財政、議会などです。講座の前半は担当課長が内容説明を行い、後半は参加者が自由に議論するための時間を設けます。この講座の目的は、説明と議論を通して地域の姿や役場のことを町民の皆さんに少しでも知っていただくことと相互理解を深めることです。また、説明する管理職の自己表現や説明能力、住民対応能力の研修の意味もあります。

・事業別住民検討会議

一般的に役所の住民参加に対して、形式だけで形骸化しているとの批判が多くあります。そこでこの会議は、大型の事業などを実施する際に、計画案が固まる前から住民参加によって原案づくりをする試みです。参集範囲などを特定しないで自由にどなたでも参加できるもので、これまでに「道の駅」や「公営温泉施設」整備の際などに実施しました。当初は主催する我々の側に、広く不特定多数の方々による議論が成り立つのかどうかという不安もありました。しかし、何度か議論を重ねて行くうちに考えの違う方々の相互理解にもつながり、時間と労力はかかりますが大きな成果があったと感じています。

・まちづくり基本条例の検討

ニセコ町では、紹介した事例以外にも、情報共有と住民参加の取り組みをいくつか進めておりますが、これらの取り組みは十分に体系付けられたものではありません。そのため行政に都合の良いことだけを情報提供し、参加をさせているのではないかとの懸念もあります。また町民の皆さんにも日常の仕事や生活があり、あらゆる問題について参加が可能なわけではありません。(これを私は「参加の限界と当然」と呼んでいます。)そこでこうしたニセコ町の情報共有と参加の理念を明確にすることと、まちづくりの過程や経るべき手続きをある程度決めることなどを内容とした「まちづくり基本条例(仮称)」の検討を、現在進めております。

iii 職員のあり方

地域の中で市町村の役所、役場が果たし、そこに期待される役割は、とても多面的な要素を含んでいます。私は、「役場は地域のサービスセンター」という表現を良く使います。しかし、それ以外にも、地域づくりの事務局、リーダーや先導役、黒子、監視役、誘導的役割、専門家など、多様な側面がニセコ町職員からもあげられました。このように職員自身も自分たちには多面的な役割があることを理解しています。こうした多面的役割を社会や地域の変化に応じて柔軟に果たして行くために、職員には常に質的な変化が求められ、不断の能力開発が不可欠だと感じています。しかし(私の知る限り)、これまでの小規模自治体の例を見ますと、能力開発の必要性を理解はしても、なかなか十分な場の提供が難しかったのが実態です。人こそが組織の要、本質であり、職員の資質向上のための取り組みを積極的に進める必要があります。

職員には、法的能力をはじめ様々な能力が必要です。この中で私が、特に注目しているのは、コミュニケーション能力です。実は大変不思議なことなのですが、多くの職員は住民と直接相対して話をすることがあまり得意ではありません。しかし、前述したとおり地域の様々な組織・団体との協働作業や住民参加がますます重要になる中で、職員と住民が円滑に意志の疎通を行なうことは、とても大切なことです。この意志疎通上のトラブルが、住民と接する初期の段階でたくさんの問題を引き起こし、その後の職員と住民との間の不信につながります。当然、協働の作業の芽も育ちません。だからこそ、職員には、自己表現や説明する、人の話を聞く、苦情を受ける、討論するなどのコミュニケーション能力が必要なのです。


III 連携による高位平準化

i 機能を補完し合う

ニセコ町で情報公開制度を検討する際に、残念ながら必ずしも十分な法的能力が備わっていませんでした。しかしニセコ町で一足飛びにその能力を備えることは簡単なことではありません。これは全国の小規模自治体に共通の悩みだと思います。その不足する能力を補ってくれたのが全国の自治体職員の有志や自主研究会などの支援です。この支援がなければニセコ町の情報公開制度はできなかったと思います。分権化によって自治体の担うべき課題が、高度専門化することが予想されます。それらに対処するために、様々な場面を通して、不足する機能を補完し合うことは、極めて有効なことだと考えます。また同時に、町村会など、自治体の連合組織の役割も高まると考えます。

ii 事例を披瀝し合って「学ぶ・まねる」

また各自治体の取り組みや事例を披瀝し合ってお互いに「学ぶ・まねる」ことも重要です。特に仕事の進め方などについては、自分の自治体内部のことしか分からないのが実態であり、何が効率的な方式なのかを知るすべが必ずしも多くありません。ニセコ町では、ニセコ町の取り組みや仕事の進め方を積極的に外部に紹介しています。そうすることで、他の自治体の参考になることがあれば、ぜひ活用して頂きたいと考えているのです。前述しました予算の説明書も我々の取り組みを参考に、全国の多くの自治体で発行するようになっています。またこうした他の自治体の取り組みが、ニセコ町の担当者にも良い刺激となり、さらにレベルアップした説明書発行への動機付けにもなっています。

つまり、参考となるよその取り組みから学ぶことによって、全国の自治体の能力や仕事の質が高いレベルに引き上げられる(高位平準化)ことが期待できるのです。これによって、自治体の総和としての国のあり方もレベルアップするのではないかと思います。


IV 新分野への取り組み

i 当たり前を当たり前に

従前の価値観を変えて新しい物事に取り組むことは非常に大変なことです。特に役所の中には、長年の役所独特のルールや慣習があり、その仕組みを変えることは容易ではありません。しかし、新人時代に初めて役所の事務に接したとき、多くの戸惑いや疑問があったはずです。それは新人で役所の仕組みや仕事を知らないからなのですが、私はその時の感覚を大切にすべきだと考えております。住民のみなさんのために仕事をするのが私達ですが、住民の皆さんの役所に対する感覚は、新人時代の公務員が持つ疑問や戸惑いに近いのだと思います。職員は、時間を経て役所の仕事のスタイルを会得して行きます。しかし逆に、このことは市民の感覚から遊離することかもしれません。ですから役所の価値観を変えて、何か新しいことに取り組む際には、新人時代の感性を呼び覚まし、世間の常識でものを考え、当たり前のことを当たり前に実施することが重要です。

ii 百点主義、無謬性からの脱却

新しい取り組みを検討する際に、その取り組みの障害となる要因について十分議論することが大切です。また、トラブルが起きたときの対策を完璧に備えることは容易なことではありませんが、その対策を講ずることは極めて大切です。しかし、これらの議論を徹底して完璧主義を貫こうとする姿勢が、新しい取り組みに着手する際の大きな障害となるケースをしばしば目にします。ときにはこうした姿勢が、新分野に着手しない言い訳ではないかと思う場合もあります。

そこで新分野に取り組むためには、大筋の方針が決まったら、だいたい六〇点程度でき上がったら、実行してみるという姿勢も必要です。そうしなければ、いつまで経っても新分野を切り開くことは難しいものだと感じます。特に住民参加の取り組みなどは、実施する以前には、何かトラブルが起きるのではないか、住民から厳しい意見が出され紛糾するのではないかなどの不安も多く、なかなか実施に踏み切れない場合があります。しかし思い切って実行してみると、案外トラブルもなく実施できることが分かります。そして経験を積み重ねることで、徐々に効率的で完成度の高い参加手法を目指すのです。つまりスタートは稚拙な段階であっても、実践によって完成度の高いものへと成長とする考え方です。もちろんこの手法は全ての事柄に対して有効なわけではありません。完璧に対策を講じてからでなければ着手できない分野があるのは当然です。

iii フロントランナーの喜びとやり甲斐

新分野に着手すること、新しい政策を実行することは大変な作業です。できれば前例踏襲で穏便に済ませたいと思うのも当然です。しかし、新しく取り組んだことが世間で評価され、その分野の第一人者、フロントランナーになることは極めて楽しく、やり甲斐のあることです。新分野に着手することは苦しみばかりではなく、その苦しさの向こうに、他の人には享受できない充実感、達成感が生まれるのだと思います。

iv 自ら考え、行動することの満足感

人から指示を受け、方針を決めてもらって仕事を進めることは一見楽なように見えます。逆に自ら考え、行動することは苦しく辛いことのように感じられます。しかし本当にやり甲斐や満足感が得られるのは、自分の頭で考え行動し、そのことで成果が上がったときです。これこそが本当の喜びなのです。特に住民との協働の作業によって成果が得られたときは、多くの人と喜びが分かち合え、自治体職員冥利につきることです。


「スタート! 地方分権」
(有斐閣「法学教室」2000(平成12)年10月号) 
これはインタビュー形式で執筆したものです。
 

◆まず、簡単にニセコ町の紹介からお願いします。

 ニセコ町は札幌市の南西約六〇`に位置し、人口約四六〇〇人です。スキーやアウトドア体験を中心に年間約一四〇万人の方が訪れる観光と、ジャガイモ、米や酪農などの農業が基幹産業となっています。情報の共有を基本としながら、色々な住民参加の取組みを進めています。

◆さて、今回の地方分権改革の動きについて、どのような印象をお持ちですか?

 地方分権推進委員会が設置され、今年四月の地方分権一括法の施行まで、全国の様々なレベルで議論が活発に行われました。こうした中で、分権に対する物凄いエネルギーを感じ、地方分権が一気に進むとの印象を持つ方もいるかもしれません。しかし、この分権に対する取組みは始まったばかりで、これまでの一連の作業は真の分権化への第一歩に過ぎないと感じています。今までの膨大な作業が単なる第一歩に過ぎないとは、少し厳しい発言と感じる方も多いと思います。しかし、それほど分権改革の道のりは厳しく、手を抜くことのできないものだと感じています。

 また、この分権改革の重要性を、実践を通して国民一人一人にいかに伝えるかも、今後の課題と感じています。

◆地方分権をはじめとする新たな国づくりの中で、ニセコ町では、どのようなまちづくりをイメージされているのでしょうか。

 ニセコ町が目指すイメージは、美しく環境に配慮された小さな町です。そして基本的な都市機能がコンパクトにまとまっていること。大都市や基幹となる空港などとは九〇分以内で結ばれること。世界とアクセスできる情報通信基盤が整っていること。産業は、目先の経済原則だけに捕らわれない本物の農業と観光を目指し、両者が渾然一体となって発展すること。加えて新しい時代の技術や指向を生かした情報・教育・癒し系の産業が育つこと。借り物ではない地に足のついた文化活動などが展開されていること。キーワードは「きれい」、「優しい」とか、「身の丈に合った」などになると思います。

 これまでの日本では、何かの課題を解決するために官がそのリード役を果たす場面が多く、住民もそれが当然と感じていました。ところが、経済成長の鈍化、価値の多様化、少子化など、時代の大きな変極点を迎え、この官依存体質では、みんなが満足する地域づくりは難しいのです。住民の中からほとばしり出る自主的、自立的なエネルギーが地域づくりの主流になることが重要です。住民と官とが、それぞれの地域の特色や条件、課題に応じて、それぞれの役割を考え、行動する過程を経て、ニセコ町役場の存在が空気のようなものになればと思っています。

◆職員研修に力を入れていると評判ですが。

 日本の地方公務員の多くは、就職する前に必ずしも公務員としての十分なトレーニングを受けておりません。だから職場に入ってから、個人の能力を引き出すための研修が不可欠なのです。ニセコ町では、3つの形態を頭に置きながら研修に力を入れています。

 一つ目の形態は「座学」です。いわゆる学校方式で、色々な知識や技能を修得することが目的です。採用後の年数や昇格状況などによって、受けるべき研修の内容を体系的に決め、職員が公平に研修を受けることができます。

 二つ目の形態は「交流」です。市町村の職員には基本的には転勤がありませんので、自分の職場や自分の自治体以外の本質に触れる機会は、あまり多くありません。個人も、また地域や組織も、自己と違ったものを見る、知ることで、初めて自己の本当の姿を知ることができると考え、職員の外部派遣や視察研修などを重視しています。また同時に、インターンシップ制度による大学生などの受け入れ、公務員以外の研修や他自治体の視察も積極的に受け入れています。

 三つ目の形態は「実践」です。市町村の職員には、コミュニケーション能力がとても大切です。これには、単なる情報のやり取りばかりではなく、苦情や不平不満を聞く、討論する、説得するなど色々な要素が含まれます。この能力の向上のためには、知識としてその必要性を理解することと、実践が不可欠です。

◆先ほど「自主的・自立的」なまちづくりのお話がありましたが、ニセコ町では、条例の制定過程にも町民が参加されているそうですね。

 ニセコ町の地域づくりの目標は「自ら考え、自ら行動する」ことです。つまり役場も町民も依存的体質から脱却し、自主性、自立性を高めることです。これからのまちづくりには、自分達の持てる資源の範囲で、自らの選択が必要です。そうして地域のことを考えるためには、考える「もと」になる情報と、考え・決める過程の透明性が必要です。

 そこでニセコ町では、町民の皆さんなどと少しでも多くの情報が共有できるような取組みを進めて来ました。このコミュニケーションを中心とする実践の中では、情報公開制度がなくても、情報の共有は可能だと感じていたのですが、情報に対する住民の権利を明確にすることが必要との指摘があり、制度化をしたのです。この条例化の中で、制度を設ける前に実施していた情報共有とコミュニケーションの取組みが、制度化で逆に利用しにくいものにならないことに特に留意しました。その結果、特段の書面請求がなくても情報を入手できる「開示情報」などの考え方が生まれたのです。直接の条例づくりにも町民参加を行いましたが、条例化以前の町民と職員との日常的な情報共有活動が前提となり、その実践を明文化したのがニセコ町の情報公開条例です。

 ニセコ町では、課題や場面に応じ柔軟に住民参加を行ってきました。柔軟さには、迅速性など良いところもある反面、町にとって都合の悪い場合は住民参加させないことも可能との懸念もあります。そこで地域づくりに対する基本姿勢や経るべき手続(デュープロセス)を明確化し、地域づくりの手法への恣意性を排除したいと考えるようになりました。その結果、まちづくり基本条例(仮称)の立案作業が始まりました。この条例の制定により、手続の明確化や透明性が高まることが期待されますが、逆に硬直さ、煩雑さ、決定のスピードが落ちるなどの課題もあり、悩んでいるところです。

◆地方分権の実現に向けての抱負や、国・自治体・住民などへのメッセージをお願いします。

 一時の分権に対する思いや熱の低下が感じられ、危機感を抱いています。また、これまでの我々の姿勢には、自分達以外の誰かが方向性を決めてくれるという依存的姿勢がどこかにあり、強く反省しなければなりません。また財源や事務量の変化などについて、地方のエゴとも取れる場面があったことも否定できません。地方の側が、一刻も早く論議と行動の主体の一翼を能動的に担うべきだと考えます。

 都市と地方、国と地方の問題を考える際には、それぞれの立場で利益誘導や我田引水的な綱引きに終始してはいけません。分権の議論における財源問題も同様です。この前提には日本はどんな国になるべきなのか、どんな国を目指すのかの十分な議論が必要です。その上で、国、地方、都市のあり方を議論すべきです。

 分権化は現在の日本の基本的な流れですが、まだ中央集権的手法でなければ解決できない課題が多いのも事実です。国は、この見極めを誤らないことが重要です。たとえば廃棄物問題には、分権と中央集権的な両方からのアプローチが必要だと思います。また、現下直近の問題の議論には、目指すべき国土の姿や国民の生活のあり方が前提になります。この日本の姿を構築する議論を国民と行うことが国の大きな役割です。

 都道府県には、広域的な総合調整能力に期待します。また、市町村との役割分担を明らかにすることが必要です。

 また、全ての市町村が必要な全ての能力を備えることは、簡単なことではありません。足りない部分を補完し合う協力体制が必要です。ニセコ町には、情報の保護・公開制度を作り上げるための十分な法的能力がありませんでしたが、全国の自治体職員などのネットワークを活用して制度化することができました。まちづくり基本条例案の作成も同様です。逆にニセコ町で行っている広報広聴や住民参加の取り組みを多くの場面で紹介し、他の自治体にも参考にして頂きたいと考えています。このように、能力を補完し、取組みを披瀝し合うことで、全国の自治体の力が高いレベルで平準化されることが必要です。この結果、自治体の総和としての日本の力量も高まり、地域からの国づくりが期待できると思います。


「政策判断と責任」
(公職研「地方自治職員研修」2000(平成12)年10月号) 

 「首長は判断の連続だ。」
 私はバッターボックスに立っています。そこに色々な球が飛んで来ます。その間隔は、極めて短く連続して、何球も一度に飛んできます。その球は野球のボールばかりとは限りません。硬軟、大小、様々です。石や雪玉、物が飛んでくることもあります。外見と中身が違う場合もあります。それらへの対応を瞬時に判断するのが私の役割です。打ち返す、当たらないように避ける、ぶつかることを承知で逃げない、時には球を叩き壊すことも必要かもしれません。私が手に持っているものはバットばかりではありません。グローブや竹刀、素手のこともあります。いつもバッターボックスにいるとも限りません。時には歩き、走っていることもあります。必ずしも十分な体制の中ばかりで球を打ち返すことができるわけではありません。打ち返す場合も、強弱を考えながらどこへ返すのかの工夫が必要です。しかも飛んで来る球以外に、飛んで来ない球を飛ばす工夫や、球場のことなど、様々なことが頭を巡っています。平成六年の町長就任直後から、首長の日常とはこんなものだと感じています。

 判断の最終責任

 こうした判断の連続の中で、判断のもとになる情報や材料に関し不安に思うことがあります。飛んでくる球が何かを知らずに対応を判断することは、基本的には極めて難しいと思います。判断材料が十分に存在することが必要です。飛んでくる球の本質ばかりではなく、その日の天候や観客の雰囲気などにも配慮しなければなりません。また首長一人の力で、判断に関する全ての情報を手にすることは不可能です。逆に大半の情報は、首長以外の職員やその他の力によってもたらされることの方が多いのです。全ての課題の判断を首長が行うわけではありません。しかし、不充分な判断であれ、他の人が行ったものであれ、あらゆる判断の最終責任は私にあります。この中には、判断の材料が全くつかめずに決断することもありますが、与えられた条件の中で最大限の努力をして全知全能を傾けて決定を下すことに、私はあまり不安を感じません。ところが、与えられた時間や状態の中で、十分な情報の検討も行わずに結論を導いたときは、本当に大きな不安が残ります。

 こうした不安を少しでも回避するために、判断の根拠となるデーターなどを私は相当に重視しています。しかし、いくら十分に根拠などを整理しても簡単には結論の出ない課題も多く存在します。しかし何が、本当に首長の判断で行なわれたのか、その責任の所在が明確になっていることが重要です。その責任の所在を明確にするためにも最大限の努力をして、あらゆる角度から判断の情報や材料を検討して、決断する努力を怠ってはいけないのだと考えています。

 「100%」「絶対」といううそ

 私は、色々な危機管理の対策を講ずる際に耳する「100%安全です」や「絶対です」などの言葉に対して、(言葉が過ぎるかもしれませんが、)ある種のうそ臭ささや欺瞞を感ずることがあります。こうした発言をすると、多くの方から批判を受けるかもしれません。しかしこの疑問は組織の危機管理や責任を考える上でとても重要なことだと思います。

  私は、100%安全とか絶対大丈夫ということが、そもそも保証できるものなのだろうかと疑問に思っています。これは多くの方も指摘していることだと思います。それにも関わらず、行政や組織の対応などについて、「絶対」や「100%」という言葉が出てくることに胡散臭さを感じるのです。もちろん、置かれた場面によっては、どうしても「絶対」などと発言をせざるを得ないことも理解できます。しかし、それでは本当の危機管理はできないのではと感ずるのです。つまり危機を起こさない対策と同時に、危機が起こることを前提にした対策を講じておくことが必要なのです。

 危機は起こりうるという発想がなければ、小さなミスが隠蔽される傾向になるのではないでしょうか。「この位のミスは仕方がない」、「大事に至らなかったから報告しなくとも良いだろう」などは、よく目にする場面かと思います。しかし、どんなシステムも完全なものはない、危機が起きる可能性があるとの発想に立っていれば、常に危機の芽を監視し、その芽を摘むことに必死になります。この重大な危機にまで発展しない「ちょっとしたミス」、「ハッとした経験」が、私は極めて大切だと考えています。

システムや組織は、危機の発生回避のために与えられた条件の中で最大限の備えをすることが大切です。しかし、それでもなおミスやトラブルは避けられないと考え、その小さな芽を組織やシステム改善のための材料として積極的に活用するのです。こうした発想でニセコ町では、職場内で困ったことや、ミスを犯したこと、上司から注意されたことなどの情報を蓄積する作業をこの8月から開始しました。「困ったシート」と題する様式にこれらの情報を記入し、職員全員がLAN上で回覧でき、仕事や職場の改善に役立てようとしています。

 これまでの行政の世界では、ミスを前提にしてものごとに取り組むことを容認せず、それは責任回避と思われていたのです。しかし、ミスが完全に払拭しきれないのではとの不安を抱えながら、100%大丈夫と公言するほうが、よっぽど責任に不誠実だと感じます。

 作業の手順化とチェック

 また、危機を回避するためには、一連の作業手順などを標準化して手順化するなどの工夫も必要です。しかし本年発生した乳製品会社の食中毒事件などを見ていると、手順化だけでは危機を回避できないことが分かります。この会社では衛生管理を徹底するためHACCPという衛生管理の仕組みを導入していました。今回は、そもそもこのHACCPの手順外のことを行って重大な食中毒事件に発展しています。こうなるとどんなシステムを導入しても、どんなに手順を完璧に構築しても意味をなしません。こうした危機をあらかじめ回避するためには、その組織全体のチェックをしなければならないのです。この具体的手だてとして、情報の積極的公開をするとともに、第三者の目で監視することが考えられます。しかし、あまりこの監視組織の権能を重くすると、製造会社そのものの責任のウエイトが下がる懸念がありますが、最終責任は会社側にあることを明確にして運用すれば、危機管理機能のレベルは上がるものと思います。

 このように行政上の判断や危機管理に伴う責任の基盤は必ずしも強固なものばかりではありません。また、首長をはじめあらゆるリーダーには、多くの意志に反していることであっても、その職を賭して将来を見越した決断をせざるを得ない場面にも、当然出くわします。つまり果たすべき責任には、極めて複雑な背景が絡み合っているのです。しかしリーダー達は、この責任から逃れることはできず、この責任に正面から立ち向かう気概が必要です。この気概を保ち続けるためには、その責任を全うすべき課題について公正で客観的な科学的論拠を構築しておくことと、その職を通して実現したい理念への強い熱意、この二つが極めて重要です。リーダー達は、判断に関わる責任を全うするため、「具体と抽象の狭間」で常に揺れているのです。


「ニセコ生活の家」
(財団法人日本知的障害者協議会「Aigo」2000(平成12)年7月522号)

大正11年、作家「有島武郎」はニセコの農場約450haを小作人に解放しました。このとき有島は次のように述べています。「土地のすべてを無償で譲渡します。しかし、それは諸君の個々に譲るのではなく、諸君が合同してこの全体を共有するようお願いするのです。その理由は生産の大本となる空気、水、土地という類のものは人類が全体で使用し、人類全体に役立つようにならなければならず、一個人の利益によって私有されるべきものではないからです。諸君全体がこの土地に責任を感じ、助け合って生産を行うことを祈ります。」つまり、共有の土地の上で、各自が愛と信頼に結ばれた「相互扶助」の思想に基づく自治組織による農場運営を願って、有島は解放したのです。

この農場内を流れるカシュンベツ川のほとりの丘の上に、障害を持つ方々の生活寮「ニセコ生活の家」があります。これは障害を持つ方々と家族などが、寮を中心として同一敷地内に家を建て、隣り合って暮らす全国的にも珍しい取り組みです。

ここの皆さんは、ニセコに移り住む前に札幌市内で通所の小規模共同作業所を自主運営していました。そこは結構便利なところでしたが家の周りは自動車の洪水、とても危険で子供たちが伸び伸びと過ごせる環境ではなかったようです。また親たちも年を重ね、雨の日も雪の日も、市内の各所から通ってくるのが辛くなり、親の健康上の問題もありました。そこで、みんなが近くに住み、互いに支えあって、しかも子供たちも伸び伸びと自然の恵みの中で、生まれた喜びを味わえる場所へ移り住むことを考えるようになったといいます。

この移転の話が、町に持ち込まれたのは平成7年の秋でした。私と助役、福祉担当課長などが計画の概要を伺いましたが、正直なところ「なぜニセコへ」との率直な疑問が湧きました。それは、交通機関、買い物、医療など、どれをとっても障害を持っている方々に条件が良いとは言えないのが、ニセコの実態だからです。さらに道内でも有数の豪雪地帯で、厳しい冬を過ごさなければなりません。また移転予定地の条件が悪く、地元の人間から見れば、そもそも移転には不都合でした。

そこで我々は、その計画について否定的な見解をはっきりと話しました。相談に来られた皆さんにとっては、冷たくて失礼な対応と感じられたことでしょう。ニセコは過疎地です。喉から手が出るほど定住を望んでいるのも事実です。そんな私たちが否定的なこと言うのですから、障害者に対して偏見があり、受け入れをしたくないのだろうと思ったかもしれません。でも皆さんは、それなら、さらに条件のよい土地を探し、なんとかニセコに移転したいと言います。なぜニセコをそんなに良いと思っているのか、我々はその真意を計りかねていましたが、粘り強い努力の結果、理解ある土地提供者と巡り合い、平成9年末にニセコ生活の家が開所しました。現在、8世帯の皆さんが定住し、生活寮を中心にニセコで暮らしています。

しかし私は今でも、皆さんにとってニセコは決して条件の良い場所ではなかったと思っています。先日、多くの支援者の皆さんが集まって、春の陽射しの中で生活の家のペンキ塗りをしました。このとき「こうやって時間をかけて徐々に地域に溶け込んで、この生活の家がニセコの当たり前になればいいのよねぇ。」と、移転された方が私にぽつりと話してくれました。私はこの話を伺ってから、我々は、ニセコの条件の悪さに、答えを出すことを焦せり、地域全体でみんなが仲良く暮らすという、生活の本質を見失っていたのかもしれないと反省をしています。

有島武郎は小作人の厳しい生活を向上させようと相互扶助による農場解放を行いました。この有島の地で、支えあい、助け合い、新たな生活の場づくりを虚心坦懐に行うこと、それが私たちに求められているのだと思います。


「情報化に思う」
(地方シンクタンク協議会「地域研究交流」2000(平成12)年7月Vol.16 No.1) 

1.はじめに 

この原稿の目的は、「20世紀の情報革命が生活や産業の様相にどのような影響を与えたか、そのインパクトが21世紀の社会にどのような形で引き継がれるか」を自由に論ずることです。しかし、正直なところ、情報革命とその将来について語ることは、あまりしたくないと言うのが本音です。それは情報通信技術の進歩があまりにも急速で、その進歩に合わせて我々に全く想像もつかないような新たな事柄が、社会の中に発生しています。だから私の乏しい知識で書くこの原稿は、あっと言う間に陳腐化するかまったく的外れのものになる可能性が極めて高いのです。

しかしニセコにゆかりの大正時代の文豪有島武郎は、「青年は、たとえ半歩であっても、進歩のためには身をささげなくてはならぬ」と述べています。つまり陳腐化や的外れをおそれて将来を語らないことは、青年には許されないのです。青年とは、物理的な年齢のことではありません。過去に学び、現在を知り、未知の将来を切り開こうとするする人、その意思のある人すべてが青年です。情報をとりまく環境は「革命」と呼ばれるほどに劇的に変化・進歩をしていますが、自分の体験を中心にその将来を考えてみたいと思います。

2.情報化と私 

私は1959年、北海道のニセコで生まれました。このころ私の家にはテレビはありませんでした。テレビのある家におじゃまして、近所の人たちとプロレスを見た記憶があります。1964年に東京オリンピックが開催されました。このときは既に自宅にテレビがあり、重量挙げの三宅選手や、アベベ選手のマラソンなどが記憶に残っています。また私の家は小さな商売をしていたため電話は早くからあり、たくさんの近所の方が電話を借りに来たものです。近所への呼び出し電話も相当にあり、それを伝えに行くのは子供の仕事でした。

小学校に入るとテレビ漬けの毎日です。登校前も、帰宅後も本当に良くテレビを見ていました。マンガはもちろんのこと、種々のドラマ、プロレス、あるいは教育番組など、まさにテレビ世代だったと思います。色々なシーンが心に焼き付いていますが、アポロ11号の月面からの生中継は、大きな衝撃でした。また小学校の高学年になるとラジオ放送にも興味を持つようになり、深夜放送のディスクジョッキーに憧れるようになります。1972年、札幌オリンピックが開催されます。そのとき自宅のテレビはカラーになっていました。その2、3年前に、電話も交換手を呼び出す方式からダイヤル式に変わったのだと思います。中学、高校の頃は、ラジオの深夜放送三昧でした。ニセコのラジオの受信事情は悪く、夜になると主に東京のキー局の放送しか聞こえません。しかし、この放送が私に日常とは違う異文化を吹き込んだことも事実です。

大学生になって自宅を離れ生活を始めましたが、自分の電話はなく、共同の呼び出し電話でした。この頃、パーソナルコンピュータが発売されました。情報化と呼べるものではありませんでしたが、実験データの解析などに威力を発揮したものです。その後、ニセコに戻ったのですが、学生時代に使ったパソコンを電話回線につないで通信することが可能になりました。これは小さな芽ではありましたが、いわゆる情報化を意識させる出来事だったと思います。その後、パソコン通信全盛時代を経て、インターネットへと発展します。

現在の、情報メディアと私の付き合いは次のような感じです。朝、出勤後、電子メールチェックをします。次に一日の出来事や予定、私の考え方などを職員と共有するための「町長室日記」を作成し、ニセコ町役場内LANで全職員に配布します。その後、この日記を私の個人ホームページに公開するための作業を行ったり、ホームページのメンテナンスをします。またメールへの返事などを書きます。この一連の作業が終了するころ職員が出勤し、一日の仕事がスタートします。日中は数度電子メールをチェックし、必要に応じて返事などを書きます。電子メールは、法律や地方行政に関する専門家の方々で構成するメ―リングリストをはじめ、その内容は多岐にわたっており、私の情報交換の極めて重要な手段となっています。今回のこうした原稿のやり取りや連絡調整などにも電子メールが大活躍をしております。

出張時には、小型のパソコンと携帯電話などにより、役所に勤務しているときと遜色のない通信環境が実現します。ですから移動中に原稿をまとめたり、連絡を受けたりすることも可能になり、かつてとは比較にならないほど行動範囲が広がるとともに、時間的制約がなくなっています。

本や音楽CDの購入はネット上で行うのが中心となりました。航空券の予約もネットで行うことが多くなっています。また、こうした原稿を書く場合の、資料集め、下調べなど、ネット上で相当のことができる状況にまでなっています。ニュース検索などは、ネットならではの得意技でしょうか。

このように、家庭でのテレビや電話が珍しい時代に生まれた私ですが、現在、情報環境は大きく変貌しました。個人のレベルでは40年前には想像もできない状況になっています。

3.行政の事務所レベルの情報化 

行政の世界での情報環境はどうなっているでしょうか。私がニセコ町に採用になった1983年当時、ニセコ町役場では、タイプライターを使用しておりました。まだワープロ、パソコンは導入されておりませんでした。また事務処理も手作業が中心で、一部課税業務が外部委託によって電算処理されていたのみです。電話はもちろんありましたが、ファックスなど、それ以外の情報端末はありませんでした。住民向けの防災同報無線がありましたが、これも一部農業世帯のみのへの設置でした。

しかし、個人のレベルの情報環境の変化と同じように、行政の内部の情報環境も飛躍的に変化しています。ここ十数年間に、各種業務の電算化、個人へのパソコン普及やLANの構築、ファックスや携帯端末の普及など、かつての事務所とは比較できないほどの変貌を遂げております。

霞ヶ関の中央省庁はWANによって結ばれるようになりました。また都道府県や市町村の事務所内にもLANの構築が進んでおります。今後は、事務所内の個別業務の電算化だけではなく、役所事務所間のネットワーク化に拍車がかかるものと思います。特に 昨年の住民基本台帳法の改正によって、近い将来、住民基本台帳が全国で一元的に管理されるようになります。これがこのネットワーク化をさらに加速させるものと思います。地方分権の推進は、国、都道府県、市町村を上下主従の関係から対等協力関係へと制度的変化をもたらしました。ネットワークの構築は、物理的にも対等でフラットな、国、都道府県、市町村関係の創出に大きく寄与するものと思います。

つまり21世紀の初頭は、国、地方を問わず全国の行政事務所間のネットワーク化が劇的に進む時期だと考えています。これによって、事務処理が自治体ごとの区域、領域を持つことに意味を持たなくなり、小規模自治体の連携化など、事務処理規模の適正化が進むこと、情報交換が円滑になること、定型事務処理のパターン化が図られることなど、さまざまな効果が生まれるものと思います。

4.住民と行政の間での情報化

一方、住民のみなさんと行政の事務所との関係はどうなっているでしょうか。先に述べましたとおり個人レベルでの情報に関する変化には劇的なものがあります。また役所内部の情報化も進み、それが役所間のネットワークに発展しようとしております。しかし住民と行政の関係における情報化は、それほど進んでいないのが実態ではないかと、私は見ています。

住民との関係では、未だに「紙」媒体による情報のやり取りが極めて重要です。また直接の面談や電話がやはり主流です。ファックスが随分と普及して来ましたが、CATVやコミュニティFMなどは、まだ地域も限られています。またインターネットを利用した広報や広聴、あるいは会議などへの取り組みも始まって来ましたが、まだ広く普及するまでには至っていないのが、運用してみての実態、実感です。

しかし、私はこれは致し方のないことだと考えております。情報の受け手、情報の発信者となる住民の皆さんには多種多様な方がおります。全ての方が、あらゆる情報化について、一足飛びに高いリテラシーを持つことは、難しいものです。だから住民との行政の役所間における情報化は、多種多様な手段、媒体が必要です。現段階では、何か一つの手法、媒体によって完結するものではないのです。たとえば、役所から何かをお知らせするためには、地域のコミュニティの働きによる回覧版などは、今も極めて重要なものです。

そこで21世紀の情報化の中では、この住民と行政間での情報化をどう進めるかが極めて重要なポイントになると思っています。今時点で、どんな形が理想なのか、実現可能なのか、私にはそれを予想する力はありません。個人のレベルの情報化、行政内部や行政間の情報化、そして次には住民と行政間での情報化が重要な段階に入って来ると思っています。

5.情報化の留意点 

情報化の一つの例なのですが、インターネットショッピングは極めて便利なものです。店頭では見つけにくい書籍も、インターネットならすぐに在庫を探し出し、自宅に郵送してくれます。私のように書店のない町に住むものにとっては、とても有り難く、田舎に住んでいる不便さを忘れさせてくれます。しかし、このことによって、店頭には売れ筋の本が中心に並ぶようになり、ぶらりと立ち寄った本屋で思わぬ掘り出し物を見つけ出すという、出会いの楽しみが徐々に減って来ています。ネットショッピングが発達することで、店舗が不要となり、少ない箇所で物流をコントロールすることが可能になります。物流量の少ない物品ではこの傾向が顕著になります。購買者は、その物品を入手しやすくなるという利便性を得ます。反面、地域の商店や専門店が衰退するかもしれません。町には、多くの人が通常使う平均的なものが、一見便利そうに、多くの人が買うという理由だけで、個人の好みとは無関係に流通します。その町の商店からは会話が消え、町自体から潤いが失われるかもしれません。

今、私たちの社会は、少子高齢化、家庭や地域、学校における教育力の低下など、これまで経験をしたことのない状況になっています。また阪神淡路大震災の教訓から防災への備えも重要な課題となっています。これらの課題を乗り越える一つの鍵がコミュニティの復活だと言われています。「向こう三軒、両隣」から出発する地域の付き合い、活動の中に、福祉力、教育力、防災力があると言われているのです。しかし情報化社会が構築され、情報のやり取りが必要のあるもの同士だけで、とても効率よく進むとしたら、コミュニティの形成はどうなるのでしょうか。そのことに配慮しない情報化は、絶対避けるべきだと思っています。

6.おわりに 

ものごとが進歩することは極めて重要なことです。それによって我々はたくさんの恩恵、利便性を享受できます。しかし、進歩によって失うものがあるのも事実です。特に情報革命は得るものがたくさんありますが、失うものもとても大きいのだと思います。私たちはそのことを十分に肝に銘じ、賢い選択をしなければなりません。 


「情報共有にもとづく住民自治」
(日本共産党中央委員会「前衛」2000(平成12)年5月号) 

 北海道・ニセコ町では、まちづくりの基本はその主体である住民みずからが考え、行動することにあると考えています。そのためには、まちにかんするさまざまな情報や、まちづくりにかんする考え方などが、住民のみなさんに十分に提供され、かつ説明されていなければなりません。つまり十分な情報共有とそれをもとにした議論が住民自治の原点なのです。

  ここ数年、求められてから提示する情報公開の概念を一歩すすめ、求められる前に、そもそもお知らせしなければならない情報の整理・提供と議論の場づくりに心がけてきました。その結果、従前の住民と行政の対立関係がずいぶんとうすれ、住民と行政の協働関係が芽生えつつあります。 

 ところが最近、いわゆる迷惑施設建設をめぐって問題が発生しています。 

 ニセコ町では、政策決定過程の透明性を高めることも大切だと考えており、この迷惑施設計画も、初期の段階から住民参加や会議の公開、審議経過の報告などを積極的におこなってきました。迷惑施設ですから当然反対もあると思います。そこで施設の必要性や安全性について積極的に情報を提供し、議論をすることが、ぜひとも必要です。ところが反対をする方に、いくら情報をお知らせし経過を説明しても、対立・敵対の姿勢から話し合う雰囲気にはなりません。行政とは本来信じられないもの、その情報には嘘があるとの思いがあるのでしょうか、そもそも話し合いがすすみません。もちろん行政にたいし、つねに批判的な目をもつことは重要なことです。しかし、行政不信を前提にしている場合、いくら情報を提供しても不満や疑念がつのるばかりです。これが情報共有の限界なのだろうかとあきらめかけていました。

 ところが町民のなかにこんな声もあることを知りました。「迷惑施設は、できることなら、つくってほしくない。反対の気持ちも理解できる。しかし、町は最初っから経過を明らかにし、必要性などを何度も説明している。その説明や参加の過程があるからこそ、たんに反対というだけでは問題が片づかないという考えをもてるようになった。」

 情報共有の限界に心が萎えかけていたのですが、この話を聞き、まちづくり情報を共有することは、行政と住民の間だけの相互理解を越えていることに気がついたのです。つまり、地域づくりの本来の主体である住民同士の相互理解、協働関係の醸成のために相当大きな役割をはたすということです。情報共有は、行政と住民という限定的な枠を越え、行政と住民が渾然一体となったなかに相互理解をもたらすのです。今回の経験から、あらためて情報共有の重要性を認識しています。


「心に染み入る「豊かさ」を求めて」
(北海道自治政策研修センター政策研究シリーズ「分権時代における『豊かさ』の実現にむけて」2000(平成12)年3月発行) 
 1853年、ペリーが浦賀の沖にやって来る。これを一つの契機として、鎖国が解かれ、日本の国は200年以上の長い眠りから覚める。1868年に明治という新しい時代が始まる。西欧文明を導入することを軸としながら富国強兵を日本のひとつの目標として近代化への道を歩み始める。近代日本における第一の変革「明治維新」の始まりである。1945年、敗戦、第2次世界大戦が終了する。以後、日本が新たな近代化に向かって再スタートを切る。近代日本における第二の改革「戦後改革」が始まる。

以上のように明治から現在にいたる約130年あまりの間に、日本の社会は二つの大きな改革を経ている。この二つの改革には共通点が少なくとも三つある。一つは改革のきっかけが、国の外との関係によるものであること。二つ目は、国の外に改革の手本や目指すべき目標があったこと。3つ目は、「古い」から「新しい」へ、「小さい」から「大きい」へ、「少ない」から「多い」へ、「余裕や無駄」から「効率」へ、「差異や格差」から「均質化」へ、「遅い」から「早い」へなど、こうした言葉に象徴される拡大・増大型の目標を掲げてきたことである。つまり、海外を手本としながら、増産増収、効率化による近代化を目指すことが、我々に幸福や豊かさをもたらすものとして、(多少乱暴な言い方ではあるが)この130年間は進んできたのだと言える。こうした時代の中で、市町村にとっては、大量消費や大量生産、利便性や所得の向上などをもたらす政策の実現が大きな仕事となっていた。具体的には、道路や交通機関整備、上下水道の整備、食料の確保増産などがあげられる。もちろんこれらの政策は、現在においても必要なものであり、その重要性を否定するつもりはない。しかし戦後50年以上が過ぎ、こうした拡大・増大型の目標、とくに社会基盤整備などがある一定程度達成され、全国どこにいてもある程度の利便性が享受でき、かつてよりは便利で豊かだといわれる社会になった。しかし、心の底からの満足度や真の豊かさとは違うとの印象が広がり、豊かさについて従前の方向とは逆の新たな視点が生れつつある。つまりこれまで築き上げてきた利便性や効率性を基盤としながらも、見せかけではない「心に染み入るような真の豊かさ」実現が求められている。「ゆとりや余裕」、「多様性や個性」、「自律と連携のバランス」など、拡大・増大型とは違った方向が必要との認識である。具体的には、効率性ばかりの社会基盤整備から親しみやゆとりのあるものへ、画一的な福祉政策から個々具体の実情に応じた対応など、明治以後、約130年を経て、日本の豊かさの質が変貌し始めているのだ。

豊かさの質の変貌とは別の変化も起きている。一つは少子化による人口減少の始まり、二つ目は経済成長の鈍化と公的借金の増大である。日本の合計特殊出生率は、戦後4人以上だったが減少の一途をたどり、平成10年には1.38人まで落ち込んでいる。この影響で2005年から2007年以降、日本の人口が歴史上(一時期を除き)初めて減少に向かうと言われている。我々が現在利用している社会の仕組みは拡大・増大型社会を前提としたものが多く、人口減少によって、その仕組みが立ち行かなくなることが予想される。医療保険、年金などの社会保障制度がその例かもしれない。また2000年度末の国と地方の長期債務残高は645兆円になる見込みであり、これは対GDP比130%弱となる。この比率は先進諸国中、最悪であり、日本は世界一の借金国などと報ずるマスコミもある。つまり日本の社会では、豊かさの変化とともに社会の質的な変化も起きており、この今の時期を「第3の改革」と多くの方が呼ぶようになっている。第3の改革は、そのきっかけが国の外との関係によらないこと、解決の手本や目標がないことなど、従前の二つの改革とは決定的に違っている。この第3の改革の時代では、行政経営のスタイルも変化を迫られている。

従来の拡大・増大型の時代は、多少の意見の相違はあったとしても、概ね多くの方々が納得できる政策が中心であった。町の幹線道路の整備などは、基本的には誰も異論がなく、財源の状況を勘案しつつ、いつ、どこの路線を整備するのかが論点となる。(もちろんこうした単純な課題ばかりではないことは、承知をしているが、大きな流れとして)こうした時代には、首長はせっせと財源を調達し、大多数の住民の支持する意向に従って、その意向の達成に邁進することが必要であった。この時代で重要なのは、いかに早く目標を達成するかであり、その目標の良し悪しを議論する必要性は必ずしも高くなかった。しかし、豊かさの質が変化し、人口減少による社会の構造変化と財政難の時代では、この目標の良し悪しを論議するところから始めなければ、住民の満足度の高い政策を実現することは難しいようだ。

「豊かさの質の変化」は、目標や価値の多様化、混在化を示す。「人口減少による社会構造の変化」は、目標や価値の大転換を迫っている。「財政難」は、金の力による目標や価値の実現が簡単ではないことを意味する。こうした時代には、目標や価値について住民が十分議論することが大切だ。住民が直接議論をしなくとも、議論をした過程、思考の道筋が明らかになっていることが肝心だ。このことは首長が、目指すべき目標や価値を示して、ぐいぐいと住民をリードすることを否定するものではないし、現在もそういった手法が大切な場面も相当にある。しかしそういった場面でも拡大・増大型の時代とは違い、政策決定の道筋や論拠をきちんと説明できなければ、住民の満足は得られにくい。

これらを次の7点に整理してみた。

(1)政策の立案、決定、実施の過程が明らかになっていること(政策過程の透明化)

(2)政策過程への住民の参加と議論が保障されていること(住民参加の保障)

(3)代議制の充実・活性化(議会活性化と透明化)

(4)議論の基礎となる課題や情報が分かりやすく整理されていること(情報整理と科学的分析)

(5)その情報が多くの人に開かれ手に入れやすいこと(情報の共有)

(6)目標や価値を客観的に評価できること(行政評価)

(7)職員のコミュニケーション能力の向上

ニセコ町でも、これらのポイントを留意点としながら次のような実践を行っている。行政手続条例、情報公開と個人情報保護に関する条例、予算や町の姿を分かりやすくお知らせする冊子の全戸配布、広聴機会の多様化、政策立案に係る住民検討会議の実施、審議会委員の公募、町民と役場職員との学習と意見交換の場の設置、研修の充実強化。これらの実践の内容をお知らせする紙面の余裕はないが、コミュニケーションを軸としながら政策過程を明らかにし、参加の機会を増やす取り組みとなっている。今後はこれらに加えて、科学的な視点での役所経営(文書・情報管理システム、財政計画樹立から公会計制度の見直し、評価の仕組みなど)や議会との連携の工夫、行政情報ライブラリーの設置、まちづくり条例などを検討したいと考えている。第3の改革の中で、このような方向を基本としながら目先の利益ではない、将来にわたる真の豊かさを享受できるまちづくりを実現したい。

しかし、これらの取り組みによって、全て理想の行政経営が実現するものではない。いくら素晴らしい経営スタイルが存在しても、「公的資金による景気回復」と「財政構造改革」が同時に進まないように、その仕組みだけでは乗り越えられない課題が山積している。それを克服するのが、首長の先見性であり真のリーダーシップなのだと感じている。ところが今の時代は、経営スタイルの工夫で克服整理されるべき課題と力強いリーダーシップによって乗り越えるべき課題が混在化しており区別が付きにくい。このことが、安易なリーダー待望論をあおる場合や行政機能の怠慢を引き起こす危険性がある。どの課題が真にリーダーが判断すべきものであるかなど、リーダーとしての先見性を際立たせ、政策判断の責任の所在を明確にするためにも、新しい行政経営スタイルの模索を怠ってはいけない。


「座学・交流・実践」
(時事通信社「地方行政」2000(平成12)年3月13日第9257号) 

「研修に出すと生意気になるぞ・・・」

町役場に就職をした頃、一部の幹部職員が研修計画をめぐって、こんな発言をした。耳を疑いたくなる発言だったが、あれから二十年近くも経過して、今ではそんなことを言う人はいないと思う。私は、地域も組織も人材こそが命、しかもその人材は不断の研鑚によって鍛えられると考えている。ニセコ町では三つの視点を軸に人材の育成に大きな力を注いでいる。

一つは知識や技術などを得る「座学」による研修だ。たとえば採用初年度、五年目など節目や係長・管理職になったら行う研修。財政、税務や福祉など専門知識を習得する研修などを体系的に実施している。

二つ目は「交流」を重視している。役場職員は、基本的には一つの町の中で退職を迎え、自分の役場以外の文化に触れる機会は少ない。自分と違ったものに接する機会が少なければ自分の本当の姿を知ることはできない。つまり「交流の無いところに発展はない」とも言える。そこで自分とは異質なものと触れ合う機会を多く作るようにしている。職員の外部派遣や視察は当然のこと、役場内部へ違った価値観を持った方々(実施例:学生や新聞記者など)を研修生として受け入れることなども積極的に行っている。

三つ目の視点は「実践」だ。職員に必要な力の一つにコミュニケーション能力がある。自己を表現する、苦情を聞く、怒られる、説得をするなど、住民との多彩な接点をお互いの立場を尊重しつつ上手にこなすことが必要だ。こうした力は頭で理解していても簡単に身に付かない。実践を通して初めて血となり肉となる。

「座学・交流・実践」を軸に研修に力を入れているが、人材の育成は一朝一夕には進まない。だからこそ長期的視点で粘り強く、そして一刻も早く、地域の将来を支える職員への投資を開始することが自治体の喫緊の課題となっている。


「新時代へ向け科学的根拠と大胆さを」
(ぎょうせい「地方財務」2000(平成12)年1月号) 

 地方分権一括法の成立を受けて、本年4月から地方分権に向けた取り組みが本格始動する。この一括法の施行だけで、単純に地方分権型の社会が実現するわけではない。今は、日本の社会が分権化に向け、やっとスタートラインについたというのが私の印象だ。これから一生懸命に汗を流す、その先に目指すべき分権型社会の実現があるのだと思う。分権に向けて思うところを簡潔に述べたい。

まず職員の資質を高めることがぜひ必要だ。採用時に有能な人材をどう確保するか。現在も多くの自治体が工夫をしている。しかし小規模自治体では、まだ取り組みが甘いとも指摘される。縁故採用などが、自治体の実態だと聞かされることも多いが、間違ってもそのようなことがあってはいけない。ニセコ町でも職員の採用年齢枠を概ね40歳まで拡大し全国公募を行ったが、多様な受験生が集まり、人材の確保に一定の効果をあげている。また日本の公務員は、職につく前に、医師や理容師などのように専門的なトレーニングを受けていない。だから就職後の研修が、不可欠だ。それには、三つの視点を持って進めたい。一つは専門知識の習得。二つ目は交流。三つ目は実践の中から学ぶこと。それぞれを詳しく述べる余裕はないが、常に学習する姿勢をいかに保ち続けるかが重要だ。さらに分権型社会では、自治体の業務の範囲も広がってくる。それぞれの自治体が、その全てについて高度の専門性を持つことが望ましいが、全てを兼ね備えることは容易ではない。そこで、全国の自治体や人材とのネットワークを構築することも重要だ。それによって相互に補完し合い、足りない面をともに成長させることも肝心だと思う。

「自己決定・自己責任」が地方分権のキーワードと言われる。地域で「責任をまっとうできる決定の仕組み」をどう作り上げるかが重要だ。責任をまっとうするためには、決定の過程が明らかでなければならない。決定の中身が明からであるためには、その決定の前提となる基礎情報がはっきりしている必要がある。こうした状況を作り上げるための鍵は、「情報共有と参加」だ。求めに応じて情報を提供する「情報公開」も重要であるが、地域を取り巻く基礎となる情報を日ごろから明らかにして、その共有された情報をもとに議論ができる雰囲気づくりをすることが必要だ。また議会の役割は、これまで以上に高くなる。議会の場が本当に開かれ、真剣な論議ができること、このための努力を首長も議会も怠ってはいけない。

これまで自治体の仕事は、「管理運営をする」といった言われ方をすることが多かった。また現在、行政改革の中で職員定数減と給与水準引き下げの声が強い。しかし、真の効率化や経費削減のためには自治体業務を科学的に検証することと、経営の概念が是非とも必要だ。つまり「何となく」仕事を進めるのではなく、明確な論拠に基づいた執行をする必要がある。またその地域において、その自治体が本来すべき仕事(行政の責任領域)について、十分な検討が必要だ。

こうした中で、首長や議員の資質も極めて重要になる。分権型社会では、議論の場が多くなる。また住民の声を多く取り入れることが一つの鍵になる。しかし、住民の声を聞くということは、その声の通りに全てを執行することではないと私は考えている。地域の将来を考えると、あえて住民の声に反する政策(私はこれを「忌避政策」と呼んでいる)の選択に迫られることも多いはずだ。その際に、力強いリーダーシップを発揮できる、確固たる意思、信念を持っていなければならない。これは選挙上、不利な結果を招く場合もあると思う。しかし分権型社会では、決定権を地域が持っているだけに、地位の保全を優先にリーダーが行動したのでは、悲惨な結果を招く危惧がある。

さて、経営の概念に基づき科学的な論拠で政策判断をすることが大切だと述べた。しかし、我々の科学は必ずしも全ての分野において万能ではなく、また科学的論拠の範囲では、推し量れない課題もありそうだ。さらに科学的論拠だけで判断をしていたのでは、現在の我々の知恵、技量の枠を超えた地域づくりをすることは難しい。そこでリーダーには、科学的論拠を最大限に尊重しつつも、その地域の将来に対して夢を語る能力、場合によってはその実現に向かって進む大胆さも必要だ。


「情報化のパラドックス」
((財)愛媛県まちづくり総合センター「舞たうん」2000(平成12)年1月Vol.63) 

情報化は、今の時代を象徴する重要なキーワードの一つだ。 

 私は、今から20年ほど前に学生実習のデータ解析のため、初めてパソコンに接した。その後、パソコンと電話回線を利用して友人とデータのやり取りを始め、その発展形態としてパソコン通信にのめり込んだ。また、パソコン上でワープロソフトや表計算ソフトなどが動くようになり、使いようによっては仕事の効率が一気に向上した。パソコン通信も参加者の増加と内容の充実によって、その有用性が加速度的に高まった。その後、インターネットへ発展し、現在は、結構な数の人が日常的にコンピュータを使い、しかもその多くがネットワークの中で作動している。 

私の現在の職場でも、コンピュータなしには、仕事が一歩も進まない状況だ。また個人的にも、原稿のやり取りなどの重要な情報交換もコンピュータを介して行うことが多い。しかも、持ち運びに便利な機器の登場で出張先からも、さほど不自由なく情報のやり取りができる。このように、ここ20年の私個人の動きからも、情報化が確実に、しかも早い速度で進んでいることがわかる。

こうした中で、情報化のメリットがさらに声高に叫ばれている。また最近は、情報の保護、セキュリティなど、情報化の負の面についても関心が高まっている。このどちらも重要なことだと思う。 

しかし、私はこれ以外に、情報化にはパラドックスが潜んでいるような気がして仕方がない。

情報化によって、時間、場所を問わず多くの人と情報のやり取りができる。反面、私たちは人が集中するという呪縛から逃れることができない。この良い例は、シリコンバレーかもしれない。また不特定多数の方々と情報の交換ができるようになったが、インターネット内の閉鎖的な小グループだけの価値に満足する傾向も見える。広い範囲から瞬時に情報を収集することも可能になったが、インターネットに拘泥するあまり、個人の手元にあるデーターベース化されていな情報を見逃してしまう。情報化で事務効率が高まったが、機器やプログラムの能力の範囲内だけで対応しようとするあまり、実は利便性、満足度が低下していることもある。

つまり、時間、場所を問わず、広く、早く、効率よく、しかも便利に、情報のやり取りや利活用ができるのが情報化のはずだが、情報化の進展によって、その意図する方向と全く逆説的な現象(パラドックス)が起きているのだ。 

かつて、顔も名前も知らない多くの方々とパソコン通信に熱中していたころ、我々が大切にしたのは、直接会ってミーティングをすることだった。時間も場所も肩書きも関係なく情報交換や論議ができる便利な道具を手にしたのに、最も初歩的な情報交換手法から離れることができなかったのだ。このことが何を意味するのか、私にはまだ分からない。しかし情報化の利便性の背景に潜む、こうしたパラドックスを常に意識しておくことが大切だと感じている。


「2000年に想う」
((財)北海道青少年育成協会「ほっかいどう青少年」2000(平成12)年1月号) 

西暦2000年代の幕開けです。この2000年という節目を私の心の中で意識し始めたのは、小学校高学年のころ、ちょうど十歳くらいだったでしょうか。西暦2000年になると、私の年齢は四十一歳。どんな仕事をしているのか。どこに住んでいるのか。社会はどんな進歩をしているのかなど、あれこれと思い巡らしていたものです。その時代を迎えるころ、自分は大人として十分な経験を積み、成熟した人間になっているだろうとも思っていました。しかし、実際にその年齢を迎えてみると、私が子供のころ見ていた大人たちの振る舞いとは大違いで、まだまだ迷いばかりの青臭い人生を送っているのが現実です。子供時代に考えていた成熟した大人の心境には、ほど遠いのです。振り返ってみれば私の人生は迷いの連続だったのかもしれません。

小さいころ、私の周囲の大人たちは、「目標を持って生きること」や「大人になったらどんな仕事するのか」について多くの示唆を与えてくれました。しかし私は、自分が将来どんな仕事をすべきか、全く結論が出せませんでした。もちろんいくつかやってみたい仕事もありましたが、どれも非現実的な側面もあって、かつ私自身にも、その世界に飛び込む勇気がなかったのかもしれません。

将来何をすべきかを決められないまま高校生になりました。そのとき一番悩んだのが、理系と文系、どちらの道に進むのかということでした。大学に行って勉強を続けたいとの気持ちがありましたが、将来の仕事が決められないため、高校二年生になれば、否応なしに振り分けられる理系、文系のコースを決められないのです。私は、成績の良し悪しは別にして、現代国語と数学、物理が好きでした。両方勉強したいという欲張った気持ちもありましたが、実際にはそんなことは無理なのでとりあえずどちらかに決めなくてはなりません。悩んだあげく最終的には理系の道を選択しましたが、それはこんな理由からです。理系の勉強は、必ずしも教科書だけでは進まない。ある一定程度の施設などがなければ、勉強が進まないことも多い。反面、文系は、施設依存の側面が理系に比べると少ない。つまり、学校を卒業した後でも、本人にやる気さえあればなんとかなりそうだが、理系はそうではない。自分の心から湧き上がる素直な目的意識で決定した理系というコースではありませんでしたが、迷いに迷って理系に進むことを決意したのです。

大学入学後も迷いの連続でした。私の通った大学は、二年生になってから学部を選択する方式をでした。大学に入学してからは、さすがに高校生までのように、将来自分が何をすべきかについて、全くの白紙状態ではありませんでした。大学に残って研究職の道を歩みたいと考えるようになっていました。研究職という選択をした背景には、元来、私はものを考えるのが好きだったということ。他の人は私をどう見ているかはわかりませんが、人と付き合うのが必ずしも上手ではないことなどから、そんな判断をしたのだと思います。しかし、どの分野の研究が自分の適性に合致し、熱意を持って継続できるのか、また大いに悩むことになりました。結局、将来は免疫の分野に進むことを心に秘めて、薬学部へ進むことにしました。そして、研究職として将来は生きていくことを決めたのです。

しかし、人生とは全くわからないものです。その後、色々なことがあり結局は大学には残らず、四年で卒業し、自分の生れ故郷の役場に就職をしました。ここからがまた、迷いと悩みの連続です。役場に十一年あまり勤めた一九九四年に、町長になるという、ある意味では無謀とも取れる、清水の舞台から飛び降りる決断をしたのです。以来、町長としての仕事を始めて六年目に入りました。今の私は、この与えられた仕事に全精力を傾注して、ニセコ町の発展のために頑張ることです。しかし、町長という仕事は一生続けることのできない期限のある仕事です。近い将来、また大きな転機、迷いの時を迎えるのだと思います。

こんな迷いばかりでしたが、その人生を悔いる気持ちはありません。これまでの選択の全てが正しかったのか、それは誰にも分からないことです。私の棺桶の蓋が閉まって始めてその結論が出るのだと思います。人生に悩みは迷いがあって当然です。しかし、大切なのは、そのことを真正面から受け止めて、真剣に考えることではないかと考えています。論語に「四十歳にして惑わず」とありますが、私はまだまだその域ではないようです。西暦2000年代も、私は悩み迷い続けるのだと思います。

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