新聞や雑誌などへの寄稿を掲載しています。
「対テロ戦争雑感」(北方ジャーナル社「北方ジャーナル」2001(平成13)年11月号)
「ニセコビジネススクール開講によせる」(北海道大学「理系ニセコビジネススクール開講のしおり」2001(平成13)年11月)
「住民が自ら考え、行動できる町」(北海道大学高度法制教育研究センター「J-mail」2001(平成13)年11月15日発行 第6号)
「市町村合併は自治体を救うか」(文芸春秋社『「日本の論点2002』2001(平成13)年11月)
「ニセコの挑戦」(「宣伝会議(通巻624号)」2001(平成13)年11月1日)
「ニセコへの思い」(地域活性化センター「地域づくり(通巻149号)」2001(平成13)年11月1日)
「市町村合併と特例優遇措置 自治体は明確な態度を示せ」(読売新聞 北の論点(北海道版)2001(平成13)年10月24日)
「クルー・リレーエッセイ」(北海道アルバイト情報社「CLUE(クルー)」2001(平成13)年10月1日778号)
「ムラの社会から見えてくる公共性と税」(日本都市計画家協会会報「都市計画家 '01夏号」2001(平成13)年8月)
「日本の構造改革 増大する町村会の役割」(読売新聞 北の論点(北海道版)2001(平成13)年7月10日)
「地方自治から見た首相公選制」(弘文堂『いま、「首相公選制」を考える』2001(平成13)年7月刊 収載)
「廃棄物処理を中心とする環境問題への取組と課題」(北海道自治政策研修センター政策研究室「ほっかいどう政策研究 第11号」2001(平成13)年3月)
「さよなら、お任せ民主主義」(PHP研究所「Voice」2001(平成13)年6月号第282号)
「国土交通省への期待」(日本都市計画学会「都市計画230」2001(平成13)年第50巻第1号)
「常識の欠如に絶望感」(読売新聞 北の論点(北海道版)2001(平成13)年4月10日)
「北大の風」(北海道大学広報誌「リテラ・ポプリ」2001(平成13)年3月春号 No.7)
「世紀末から新世紀、時の流れの中で」(財務省北海道財務局「北海ざいむ」2001(平成13)年初春号 No.84)
「「ニセコ町まちづくり基本条例」の制定」(PHP総合研究所公共経営センター「PHP政策研究レポート」2001(平成13)年Vol.4 No.47)
「研究会に参加して」(北海道総務部税務課「北海道税務月報」2001(平成13)年2月 No.432増刊号)
「自治の科学的検証、そして政治の力を」(自治体学会「NEWS LETTER」2001(平成13)年1月 No.87)
「市町村合併 自治体は冷静な議論を」(読売新聞 北の論点(北海道版)2001(平成13)年1月23日)
「対テロ戦争雑感」
(北方ジャーナル社「北方ジャーナル」2001(平成13)年11月号)
アメリカ・ニューヨークで発生した、同時多発テロ事件、そして引き続く炭疽菌の恐怖など、9月11日以降、世界が震撼している。その結果、アメリカ軍を中心とする対テロ戦争とも言うべきアフガニスタンへの攻撃が始まった。日本でも、いわゆるテロ対策三法案が、十分な議論を経たとはいえない中で成立し、テロ対策や、対テロ戦争への対応が進んでいる。この原稿を皆さんが目にする頃、対テロ戦争やそれに対する日本の対応がどうなっているのか、的確な予想をする力は私にはないが、現時点で感ずることを記したい。
日本政府の対応には、日本の基本姿勢は何かという、本質議論が抜けている。つまり、当事者であるアメリカをはじめとして、世界の同盟国といわれる国々への体面ばかりを気にし、他の国々と肩を並べた対応が急務だとの姿勢が感じられる。しかし日本政府は、単に世界の国々と方を並べることを優先するのではなく、日本の歴史的背景や憲法の規定に則って、このような事態には本来どういう態度を取るべき国であるかを、今一度明確にする必要がある。
第2次世界大戦を経て、「戦争の放棄」を規定している憲法を持つ国として、その立ち振る舞いは、こうした憲法を持たない他の国々と同じはずであってはならない。戦争状態への対応が基本的に違って然るべきであり、それこそが日本が本来取るべき立場だ。戦争の影響のない時期(馴染みの無い言葉だが「平時」と言うのだろう)だけに効力を発揮するのが憲法第9条であってはその条項の意味は無いに等しい。戦争の影響が出てきたとき(これも馴染みが薄い言葉だが「戦時」と言うのだろう)に、本来真価を発揮するのが第9条の規定のはずだ。つまり原則は単純であり、「戦争の放棄」が日本の基本姿勢なのだ。
今回の日本政府の対応の背景には、1991年の湾岸戦争のときに日本が取った態度が世界から評価されなかったといトラウマがあり、だから今回は評価が得られるような動き、貢献をしたいとの心理が働いていると推測されている。しかし、湾岸戦争の日本の対応は、本当に評価されていないのだろうか。過去に日本は中東諸国で植民地支配をしたことがない。しかも日本はイスラム教徒と対峙するような宗教的色彩が薄い国でもある。こうした点から見ても日本政府は中東諸国と冷静な外交を展開できる国だとも言える。もし仮に評価されていないとするならば、日本の戦争放棄という基本姿勢を厳守した中で、いかに貢献するかの工夫をすべきであって、他の国々と肩を並べることが評価に繋がるとは思えない。しかも、他の国々、特にアジアの国々は、日本が軍備を重要視する方向での貢献を必ずしも望んでいないはずだ。今こそ、戦争の放棄という日本の基本姿勢を明確にすべきなのだ。
報道からでしか知りえないことだが、アメリカのアーミテージ国務副長官が日本に対して「Show the flag」と言ったという。この言葉が、今回の日本のテロ対策三法案の準備の大きな引き金になった。しかし後なってその解釈を巡って幾つかの議論があり、なんとも理解に苦しむ「引き金」となってしまった。日本政府としては、「日本の旗を見せろ」と解釈し、(誰が、そして何の規定に照らし許されるのか明確ではないが)許される範囲で最大限戦場(戦場の規定も曖昧だが)に近いところで日の丸がはためく方策を選択しようとしている。ところが「Show the flag」は、「旗を見せろ」ではなくて「日本の立場をハッキリしろ、旗幟鮮明にしろ」と解釈すべきとの声も上がり、結局のところ日本政府が最も重視すべきと言っている同盟国アメリカとの意思疎通すら、円滑に行われていないことが窺える。さらに、この「Show the flag」という言葉を総理は、新聞で読んで知っただけであり、直接の聞いたのではないと言う。この「Show the flag」は、9月15日に、当時の柳井駐米大使との会談でアーミテージ国務副長官が発言したことは事実のようだが、結局、アーミテージ副長官本人が、その会談の詳細は明らかにできないと日本人記者団に語っている。肝心な「引き金」の根拠が明らかにならない中で日本の政府は、そして国民は、重要な選択を行っている。日本の対応について「体面を気ばかりを気にする」と前述したが、こうした不透明さが明らかになればなるほど、その体面すら危ういのではないかと思われる。結局、アメリカをはじめ世界の国々から、さほど期待されていないこと、見当違いのことを先走りして行っている、独り相撲、押かけ貢献ではないのかという疑問を払拭できない。
武力の存在や武力そのものによる、様々な抑止力は、ある程度は理解できる。様々な価値の交錯する地球上で、日本が全くの丸腰で各国と伍することは難しいことも理解できる。しかし戦時になったからといって、事実上、急に武力を強めるような対応を取ることは日本の役割として適当なのだろうか。日本の役割は武力ではないと言い切ること、憲法や現行法の枠の中で、日本が世界の中で果たすべき役割を論ずること、早期停戦や、難民支援を行うこと、これが第2次世界大戦を経験し、世界唯一の被爆国となった日本の責務なのではないか。そして実は世界も心の奥底では、勇気ある少数派となる選択を、(必ずしも自分たちには選択できないために)日本に期待しているのではないか。
ところで今回の対テロ戦争はいつまで続くのだろうか。たくさんの武器の使用によって、1997年、京都での気象変動枠組条約第3回締約国会議であれほど熱く語られ、現在も議論が続いている環境破壊はどうなるのだろうか。地球レベルでは環境問題は待ったなしの課題のはずだ。また今年3月、タリバンがバーミヤンの巨大石仏を破壊したときに、世界から文化財破壊を非難する声が上がった。タリバンの文化財破壊は非難するが、別のものたちの武力行使による文化財破壊の可能性は多めに見るのだろうか。難民が急増する、石油問題が起こる、そしてアフガニスタンのそのものの将来はどうなるのだろうか。また今回の対テロ戦争を容認し支援する国々に対しても、自国内紛争を正当化するために武力支援を支持しているという見方もあるようだ。したがって、この対テロ戦争の泥沼化、長期化は絶対に避けなければいけないし、武力戦争などを行っている余裕はないのが現実なのだ。
また武力による報復だけで、真の問題の解決になるのだろうか。今回の武力行使は、肺炎などの細菌感染症に対して熱を下げる、咳を止めるなどの対症療法を行っているようなものではないか。つまり、武力行使だけでは、テロの問題を完治、根治できないのだ。もちろん当面のテロ対策を救急救命的に行うことは、絶対に必要なことだ。しかし、なぜテロが起きているのかという根本原因を考えないで、対症療法である武力行使ばかりを行っていても、悲惨な殺戮を繰り返し、殺人による恨みが、また殺人を引き起こすと言う「殺人の連鎖」が広がるばかりだ。
今年7月のイタリア、ジェノバで開催されたサミットでは、その開催を反対する運動が激しかったと報じられた。その理由の多くは、グローバル化への反旗であった。グローバル化とは何かを定義することは易しいことではないが、私たちは地球上のみんなが仲良くなって、人やモノの行き来も円滑で自由な取引が行われ、さらには情報や文化も共有できる社会を、ある種の理想のように考えていた。だからこそ、貿易、金融、食糧、子供たちのことや環境など、色々な分野について国際会議を開き、様々な協議を重ね、自由で、機会均等に活動のできる世界づくりに、多くの人が奔走している。しかしこうした理想は、実は極めて一面的なものであり、独りよがりの価値の押し付け、押し売りになっているのではないか。我々がある種の理想と思い込んでいる世界のありようは、必ずしも全ての人にとっての意味のあることではないのかもしれない。つまりグローバル化によって、人々の違いや特色を破壊することになったと見ることもできる。私たちは、宗教や物質に対する価値や習慣や文化など、お互いが違うことを知りながら、交流できる術(すべ)を身に付けるべきだ。こうした考えが、ジェノバでのサミット反対運動の一要因だったように思う。
このグローバル化に反対する考えは、今回のテロとは直接関係が無いかもしれないが、こうしたことが、いわゆる一握りの先進諸国への反発の一要因であることは否定できないだろう。私たちはグローバル化の弊害への配慮が必要だ。実は、グローバル化によって、従来は価値観が同じ、似ていると感じていたものたち同士でも弊害が発生している。例えば、より生産コストの安い地域を求めて、製造業の拠点が世界を渡り歩いている。これによって日本国内の産業の空洞化が急速に進んだ。農産物の世界的な流通も同様だ。日本の農業は競争力を失い、国内農業が存亡の危機に瀕している。これが自由経済の原理だと言ってしまえばそれまでだが、果たしてこれは多くの人々が望む状況なのだろうか。特に食料の問題は、一度荒廃した農地を元に戻すには、膨大なエネルギーを必要とし、取り返しのつかない状況を作りつつある。未発達の分野に海外から乗り込んで、その国の市場を席巻することも同様だ。狂牛病問題も、実は、世界の競争に打ち勝つために低コスト高収益を追求した結果とも言えなくないだろうか。飼料も含めて、地域内だけで牛の問題を考えていたら、こんなに複雑で解きほぐすことの難しい問題には発展しなかっただろう。グローバル化によって、継ぎ目、縫い目のないシームレスな物流や価値の流れができるが、そのことが搾取や押し付けを引き起こしているとも言えるのだ。
色々な考えや価値を持った方がいる、世界には色々な環境、境遇があるのだということ、こうしたことを思い巡らす想像力が私たちには欠如している。この想像力の欠如こそが、今回の対テロ戦争の大きな問題だ。
昭和54年に発刊された中桐雅夫さんの詩集「会社の人事」(晶文社)にこんな作品が載っている。
想 像 力
人間は二種類に分けることができる、
紅白歌合戦を見る人、見ない人、
飢えている人、食べ飽きている人、
人を殺したことのある人、殺したことのない人。
たいていの人は吸い飲みで水を飲んでから死ぬが、
その暇もなかった子供たちがいる、
南国の四月の空中に放り出され、漫画本や人形と一緒に、
くるくるまわって地面にたたきつけられた子供たち。
向こう側の国と、こちら側の国とがある、
向こう側に弟や妹がいたら、と想像するのはおかしいか、
肉を食べたことのない子供たちを想像するのはおかしいか、
それほどの想像力も、きみらはもっていないのか。
ぼくは自分の小さな手のつまらないしわを眺めながら、
生きているのが恥ずかしくなった。
私たちは、あらゆることに関して想像力が欠如していることを、強く認識しなければいけない。自由だからと言って、お互いの立場環境の違いを無視して儲けすぎてはいけない。私たちは、拡大すること、成長することだけが価値ではないことと知り、21世紀は成長しない、ある種成熟した社会の中で、どう生きるかの術(すべ)を身に付けなければいけない。また私は友人から、想像力の欠如は創造力の欠如に繋がると指摘されたが、全く同感だ。色々な状況について思い巡らす力がなければ、新たな価値を生み出すことは不可能なのだ。
私たちは、お互いの「違いを尊重」しながら、十分に意思の疎通ができる世界を目指すべきだ。もちろんテロ行為を許してはいけないし、いかなる暴力であれ(それが一見正当に見える報復であっても)、罰せられるべきことは言うまでもない。今回のテロ事件から我々は多くのことを学ばなければいけない。(2001年10月29日記)
「ニセコビジネススクール開講によせる」
(北海道大学「理系ニセコビジネススクール開講のしおり」2001(平成13)年11月)
「ニセコビジネススクール」の開講を心からお喜び申し上げます。またこうした意義深い講座の開催地として、ニセコをお選び頂きましたこと、それを大変光栄に思うと同時に、皆様のご来町を心か歓迎いたします。
大学には「研究」、「教育」と「社会おける実践、係わり」という少なくとも3つの役割が考えられます。私の学生時代には、教育と研究の両立の難しさについて、学生同士、あるいは教官も交えて随分と議論した思い出があります。また大学では、基礎的な研究によって物事の真理を探求し、その資産を学生に継承してゆくことも重要ですが、常に実社会と係わりを意識しつつ、大学の存在を開かれたものにすることが重要であるとも考えておりました。つまり大学人だけの純粋な価値の範囲で研究・教育を行うことに加えて、さらに広く社会のニーズや実態をも、一つの原動力として研究・教育を行なうことも、大学と社会の両方にとって、とても意義のあることなのです。
しかし、日本の社会ではこうしたことについて、営利や企業研究のニーズなどといった実務的な場面を除いて、一般論として積極的に取り組む姿勢が少なかったのも事実です。今回の講座は、直接に大学と社会の関係に風穴を開けるものではなく、起業の基礎を学ぶ場であります。しかし、大学の教育には、実務的なスキルを直接学ぶと同時に、具体例を通して学んだことを一般化する力を養う側面もあります。今回のこの講座は、大学と社会の関係がさらに柔軟で、当たり前のものとなる切っ掛けづくりに大いに貢献するものと思われます。本講座からたくさんの成果が上がることを期待しております。
なお、今回の「ニセコビジネススクール」は、北海道大学大学院経済学研究の濱田康行教授の将来を見据えた判断と行動によって実現したものであり、学生諸君、そして大学と社会に対して、時代の新たな1ページを開くことができたわけです。濱田教授の先見性と行動力に深く敬意を表すとともに、このニセコが、ほんの僅かではありますが、その一端を担うことができ、大変、光栄に感じております。
「住民が自ら考え、行動できる町」
(北海道大学高度法制教育研究センター「J-mail」2001(平成13)年11月15日発行 第6号)
ニセコ町のまちづくりの大きな目標は、地域に住む我々が責任をもって自ら考え、自ら行動することだ。そこでニセコ町では、徹底した「情報の公開」と数多くの参加の場づくりに心がけている。このおかげで、随分とまちづくりの諸活動に町民の関心が高まってきたと感ずる。しかし、戦後長い間にわたって私たちに染み付いた「お任せ民主主義」、すなわち「困ったら、誰かがどこかでうまくやってくれる」などといった依存体質から抜け出すことは容易ではない。「お任せ民主主義」は、地域に暮らす我々にとって極めて楽なことであるかのように感ずる。しかし視点を変えてみると、我々には、自分たちがこの地域でどの様に暮らすのかを判断し、選択する権利が与えられていないともいえる。
「無駄な道路事業を止めて、教育事業にお金を使うべきだ」などといった話を住民の皆さんから聞くことがある。地域で議論し、必要とされていることを、その優先順位にしたがって責任を持って仕事をすべきとの意見だが、これはもっともな指摘であり、たとえ現在より予算規模が多少縮減しても、これこそが自立的地域経営の第一歩だ。しかし今の仕組みでは、こうしたことが簡単に実現できない実態にある。仮に優先順位が低いと思われる何かの分野の事業を中止しても、その財源が他分野の事業に転換できないなどの実態があるのだ。
つまり、自分たちの地域の理想像をいくら語っても、その姿を実現するために責任を持って地域のことを判断し、行動する仕組みに、必ずしもなっていないのだ。そこで、地域での暮らしを守るために、自分たちが自らの責任で、自分たちの地域のことを考え決定し、行動する権利と責任を手にすることがニセコ町のユートピアに近づく第一歩だ。この権利と責任(自治権と言っても良いか?)を手にできないまま、どこかで誰かにコントロールされている限り、いつまでの自分たちの身の丈に合わない、どこか奥歯にモノの挟まった地域づくりが続くであろう。
「市町村合併は自治体を救うか」
(文芸春秋社『「日本の論点2002』2001(平成13)年11月)
1)なぜいま市町村合併が期待されるのか
平成13年3月27日、総務大臣を本部長とする「市町村合併支援本部」が内閣に設置され、その後就任した小泉総理は、「住民の自治ということを念頭において、政府一体となって市町村合併を強力に支援」するよう関係者に指示をした。現在、市町村合併が日本の地方自治の喫緊の課題となっているが、それは次のような背景による。
一点目は、現在の自治体には、地方分権の担い手として十分な能力が備わっているのかという、「分権の受け皿論」である。分権によって、国と地方がこれまでの上下主従の関係から対等協力の関係に変化し、自治体には自らの判断と行動で責任を持って地域づくりを行なうことが求められる。しかし、小規模な自治体では、広い範囲にわたって十分な人材を備えることが難しく、必ずしも専門性が高くない。そこで、自治体の規模を拡大し、そうしたデメリットを克服することが求められている。
二点目は、生活が広域的な範囲に渡っていることがあげられる。仕事や買い物、医療、観光など、住民生活は単一の市町村内だけで完結するものではない。市町村の区域もこうした住民活動の実態に合ったものすべきとの考えがある。
三点目は、少子化の進行などによる日本の人口減である。西暦2007年頃をピークとして、日本の社会は人口の減少期に入ると予測されている。この社会構造の変化の中で、小規模な自治体が各種サービス提供のための十分な財源の確保を図ることができるのか、あるいは少ない人口で健全な自治活動が可能なかのなどの懸念がある。
四点目は、財政難である。平成13年度末の国と地方の借入金残高は666兆円に達する見込みだ。国民一人当たりの借金額は500万円をゆうに超える。一方で住民一人当たりの行政コストは、自治体の規模が小さくなれば高くなる傾向にあり、規模の拡大によるコストの低減が求められている。
2)市町村合併に向かない地域もある
自治体を取り巻く環境は、現行の自治制度がスタートした、およそ50年前とは大きく異なっている。こうした変化の中で、行政体制だけが既存のあり方で将来とも成り立つはずがなく、柔軟な変化が必要だ。また環境対策をはじめとして、住民の福祉向上と効率性追求の観点からも、自治体の枠を超えて取り組んだ方が効果的な仕事もたくさんある。特にダイオキシン対策などのように、単独の小規模自治体では財源的に実施が不可能なこともある。
こうした状況を考えると現在は、単に合併に反対する、しないの議論だけをしていればよい時期ではない。何も対策を考えずに手をこまねいていたのでは、確実に住民福祉が低下する時代になっている。自治の充実を図るために、行政体制の変化は必然のことなのだ。
ところが市町村合併を強力に推進する政府の動きに対し、反発する声も多い。全国町村会は、平成13年7月5日に37年ぶりの臨時全国町村長大会を緊急に開催した。この大会では、全国から約二千名もの町村長が参加して、市町村合併の強制に反対する決議を採択している。
全国の市町村の状況は多様であり、市町村合併による規模の拡大に向く地域と向かない地域がある。こうした地域個別の事情に必ずしも配慮しない一律の合併論に対する反抗であり、この決議は当然のことと言える。たとえば人口密集の小規模自治体同士の合併と、人口が疎らな自治体同士の合併では、たとえ同じ人口規模が確保できたとしても、その規模の拡大によるメリットには大きな違いがあることは明白だ。したがって市町村行政体制の変化は必然のことではあるが、その変化は地域の実態に応じて多様であるべきだろう。
3)合併以外にも選択肢はある
市町村合併以外の将来の自治体のあり方としては、広域行政の徹底や民間セクター、住民活動による行政のスリム化などが考えられる。
●広域行政の徹底によって、効率性の追及や能力の補完を行う分野の例。
・ごみ、し尿処理などの環境衛生対策
・消防業務
・医療対策
・農業や観光などの経済対策
・国民健康保険や介護保険などの社会保障・福祉対策
・住民基本台帳事務
・税の賦課、徴収
・オンブズマン制度
・社会教育、生涯学習事業
・法的専門業務
・職員研修
この分野は、これまでも多くの取り組みが行われているが、形式だけの広域に終わっているケースも多い。実効性をいかに確保するかが大きな鍵だ。今後は、税の賦課徴収など、既成概念では広域に馴染まないと思われていた分野にも大胆に乗り出す必要がある。ニセコ町では、情報公開条例やまちづくり基本条例の立案などにも広域ネットワークが有効に機能した例がある。
しかし広域行政には、首長同士の議論の難しさや、それぞれの自治体議会との調整など課題も多い。
●業務を民間が担う分野の例
・公共施設(道路、公園、箱物施設、上下水道施設など)の維持管理
・除雪業務
・学校給食業務
・役所職員の給与支給、福利厚生業務
・ゴミ、し尿などの収集運搬
公的業務を民間が行う、いわゆるアウトソーシングなどの重要性は論を待たない。公共性が確保でき、経費が縮減できるものは、積極的に民間セクターが行うべきだ。従来、役所の中では聖域的な扱いを受けていた人事管理の一部や給与、福利厚生事務なども民間セクターが担うことで効率化が期待できる。
注意点は、民間同士の競争原理が働かない場合(地域にその業務を担う事業者が一社しかないなど)は、必ずしも効率性が実現できないことである。
●住民の自主的活動を拡大する分野の例
・道路、公園などの清掃
・街路灯の維持管理
・ゴミ収集やリサイクル
・自主防災
・高齢者や幼児、児童福祉
・地域課題の発見整理と仕事の優先順位付け
「責任を持って、自らが考え行動する」という自治の原則に立ち返った、住民の直接的な各種活動が広がることで、住民の行政への依存体質が弱まり、現行行政の無駄を省くなどの効果が期待できる。この場合、行政の仕事に参加してもらうのではなく、行政が住民の活動に参加し、みんなで地域をつくっているという協働の精神で進めることが重要だ。そのためには、役所職員の既成概念を取り払うことと行政の各種情報の公開、共有が不可欠だ。
4)合併のもたらすデメリットとは何か
市町村合併は、冒頭に述べた四点にわたる背景、それらを克服するための一つの選択肢に過ぎず、それは目的ではない。市町村合併によって社会の変化に対応でき、自治の充実が図られるのなら合併の選択に傾くことに異論はない。
しかし、人口規模を拡大して見かけ上、社会の変化に対応できたとしても、自治の充実につながらない地域も多い。また合併によって自治体の名称が変更されることで、地域のアイデンティティー、独自性の低下も心配される。これは数値で定量的に表せるものではないが、住民と接する日々の仕事の中で、合併における大きな課題だと感ずる。さらにもっと直接的に、合併地域同士の対立も生まれかねない。このように市町村合併には、単なる効率性だけでは割り切れない要素が多い。
したがって現下の社会の変化に対応でき、責任をもって自らの判断と行動で地域づくりを行なうという自治の本質が実現できるのであれば、必ずしも合併にこだわる必要はない。合併も含め、その選択をすべき道を地域が主体的になって十分に検討することが大切だ。
(この論調は、随分と前に書いたものであり、現在の考え方と多少違っている部分もあります)
「ニセコの挑戦」
(「宣伝会議(通巻624号)」2001(平成13)年11月1日)
──住民視点にたった町づくりをするうえでのポイントは何でしょうか?
行政や住民、それぞれ一方の思い込みだけで仕事を進めても、お互いの依存体質が助長され、不信が募る一方です。徹底したコミュニケーションによって相互理解をすることが重要です。そのためには求められてから情報を出すという、行政的な言い回しでいうところの情報公開ばかりではなく、地域の将来について責任を持って判断できるための情報の積極的提供が不可欠です。
──実行するにあたって、一番難しい点は?
既成概念から脱却をすることです。私たちは長い時間の中で、「行政とはこんなものである」とか、行政と住民との話し合いには決まった方式があるようなイメージを知らず知らずのうちに持っています。しかし、こうしたあらかじめ想定された形ばかりでは、真のコミュニケーションは成立しません。虚心坦懐に効果的な手法にチャレンジすべきです。
──マーケティングおよびコミュニケーションのプロに町づくりに期待したい知恵は何でしょう?
行政は自己表現をすることが下手です。また自分たちの世界だけにしか通用しない価値観を平気で住民に押し付けがちです。そこで、プロの皆さんとともに具体的な事例に即して多様なコミュニケーションの手法を実践することが大切です。また問題意識が希薄で、目的達成のための戦略が甘い部分が多く、戦略構築のトレーニングが必要です。
(この文章は、原稿をインタビュー形式に構成したものです。)
「ニセコへの思い」
(地域活性化センター「地域づくり(通巻149号)」2001(平成13)年11月1日)
「それじゃ、町の名前を変えよう。」
昭和三十年代のなかば、私たちの町に町名改正の議論が持ち上がっていた。その頃、町の産業構造は、いずれは観光の比重が高まると予想されていた。そこで、観光をさらに戦略的に売り出すため、町の有志が、国鉄に駅名を「ニセコ」に変更するお願いに行った。ところが「駅名を変更するのは簡単ではない。自治体の名前が変更されたのなら可能性もあるが…。」との答え。意気込んでのお願いだったが、町名を変えなければ駅名の変更は難しいと分かり、町の先輩たちは肩を落として帰町した。
明治三十四年(一九〇一)、私たちの町は隣の真狩村(まっかりむら)から分村独立した。このとき、旧地名が「真狩別太原野」だったため、その二文字を取って「狩太村(かりぶとむら)」と命名した。以後、村から町へと変化し、昭和三十年代に入ると、スキーや温泉、登山など、ニセコ山系を中心とする観光も町の重要な産業となっていた。この観光の発展をさらに着実なものとするために、先輩たちはその玄関口である国鉄の駅名を、観光の舞台となっているニセコという地域名へ変更することに着目したのだ。ところが、その思いは頓挫しかけていた。しかし、地域の将来を考え、当初は思いもよらなかった町名改正論議に発展していったのだ。
地域の名称には、人々の心の寄り所のような雰囲気がある。「狩太」という名称にも、親しみと愛着があり、その変更には多くの反対があった。また改正予定の名称が「ニセコ」というカタカナであることに抵抗感を覚える方も多かった。ニセコとは、ニセコアンヌプリ(一三〇八メートル)という山の名前から取ったものだ。ニセコアンは「深山にあって川岸にかぶさるように出ている崖」という意味、ヌプリは山、いずれもアイヌ語だ。当時の資料を見ると、実に様々な議論があったようだが、地域の将来を思う粘り強い活動を経て、昭和三十九年(一九六四)十月に「狩太」から「ニセコ」への町名改正が実現した。
現在のニセコ町は農業と観光の二つを基幹産業とする町だ。先輩たちの予想通り町名改正の果たした役割には、はかり知れないものがある。町の人口は約四千六百人と規模は小さいが、町民の誰に聞いても「ニセコ」という町の名前には、誇りを感ずるという。この背景には、自分たち自らが汗を流して自らが決断、選択をした町名だという自負があるのかもしれない。私自身もこの先達の大英断に感謝するとともに、ニセコという名称に人並み以上の愛着を感じている。
しかし時は流れ、現在、市町村の枠組みの見直しが全国的に論議されている。こうした中で「ニセコ」の名称が将来どうなってしまうのか不安も多い。地域の熱意で手にした町名だけに、町民の思いは複雑であり悩みは尽きない。しかしニセコでは、昭和三〇年代同様に、多くの町民の熱意と議論によって、この試練を乗り越えてゆくに違いないと期待している。
「市町村合併と特例優遇措置 自治体は明確な態度を示せ」
(読売新聞 北の論点(北海道版)2001(平成13)年10月24日
市町村合併論議が大詰めを迎えています。この問題は、住民本位の充実した自治をどうすれば実現できるかで判断すべきことであり、十分に時間をかけた検討と地域の自主的な判断が必須です。しかし、自主性だけに委ねていたのでは、国の目指す市町村の姿の実現には相当な時間を要するとの見方もあります。また現在の日本の社会経済情勢などに鑑みると、国や自治体のあり方に大幅な変化が早急に必要なことも事実です。そこで国では、平成十七年三月末までに合併すれば、その自治体に対し財政面を中心とする大変有利な特例制度を準備しています。たとえば、償還財源を補填する有利な借金を許可、現在減り続けている交付税を10年間は維持、補助事業の優先採択などです。ところが合併までの事務手続き期間は、通常、最低でも二年数ヶ月から三年が必要と言われ、この特例制度を利用するための議論の時間は、来年の春から夏までしかないのです。
そこで私たちの地域では、倶知安、京極、ニセコの3町長が、この問題について住民の関心・議論を喚起する意味も含め、それぞれの町へ出向いて公開での議論を行って来ました。今後は具体的に、地域の将来像を描く作業を行ない、市町村合併(特に平成一七年三月末の特例優遇措置)に対する方針を決定する予定です。しかし、住民の皆さんからも、合併しなかった場合の地域の将来像(地方財源の具体的な減額額、補助事業の厳しさ度合いなど)に関する情報の不足を強く指摘されます。こうした情報が提示されなければ、合併の是非を比較判断できないというのは、もっともな指摘です。ところが、この点について関係機関は「地方交付税の大幅な減額など、小規模自治体にとっては相当に厳しい状況になる」と言うだけであり、具体的な回答が得られません。つまり今回の合併論議は、選択肢の実態を明らかにしないで判断を迫っているわけであり、必ず受け取らなければならないが中身の分からないプレゼント、賭けのような側面も否定できません。しかし、情報が少ないことがこの議論をしない理由にはなりません。現状の情報不足などの不備を訴えるとともに、法で定められた主旨に沿って判断をすることも市町村の責務なのです。
ところで合併に対する有利な制度が準備されているため、合併を選択した地域としなかった地域で住民サービスに差が出ることが考えられます。そうなった場合、議論せずに合併を選択しなかった地域の住民から、将来、後悔の声が上がることが予測されます。優遇措置が利用できる期限内に何の対応もしないで、将来、住民に不利益をもたらした場合、自治体が「不作為の不利益」に対する責任を問われることにもなります。ですから残された期間内に十分な議論をして、平成十七年三月をどのような姿勢で迎えるのかを明確することが肝心です。これが将来に対する自治体の責務なのです。ここ一年弱の期間は、そのために残された最後の時間です。
(以上が最終原稿ですが、これは次の文が下書きとなっています。下書きのため整理されていない部分、過激なところもありますが、参考までに掲載します。)
平成九年一〇月にこの紙面で市町村合併に言及し、以来、この問題に触れるのは今回で四回目となります。それほど、市町村合併は現在の市町村にとっての大問題であり、その論議が大詰めを迎えています。なぜ今、合併議論なのかを整理してみたいと思います。
現在、国では全国約三千二百数十の市町村を合併によって千程度にする方針を掲げています。これは次のような理由によります。@自治体の規模を拡大して分権時代に対応できる能力を持った役所、役場にする。A住民の生活・活動は一つの自治体内で完結していないという実態に合わせる。Bごみ処理、介護保険など広域的に対応すべき行政の仕事が増えている。C少子化による人口減で小規模自治体の人口がさらに減る。D財政難のためさらに効率的な行政運営が必要。
合併論議は、地域の中で、住民本位の生き生きとした自治をどうすれば実現できるかで判断すべきことであり、十分に時間をかけた検討と地域の自主的かつ責任ある判断が必須です。しかし、こうした自治体の自主性ばかりに委ねていたのでは、国の目指す市町村の姿の実現には相当に時間を要することになります。また現在の日本の社会経済情勢などに鑑みると、早急に自治体に何らかのしかも大幅な変化が必要なことも事実です。そこで国では、平成十七年三月末までに合併をすれば、その自治体に対して、財政面を中心として大変有利な特例制度を準備しています。たとえば、償還財源を補填する有利な借金を認める(合併特例債の許可)、現在減り続けている交付税を10年間は維持、補助事業の優先採択などです。ところが合併までの事務手続き期間は、通常、最低でも二年数ヶ月から三年が必要と言われており、この特例制度を利用するための議論の時間は、来年の春から夏までしかなく、それまでに結論を出すことが必要です。こうした点から、現在、全国的に合併判断のための最終段階に入っていると言えます。
そこで私たちの地域では、倶知安、京極、ニセコの3町長が、この問題について住民の関心・議論を喚起する意味も含め、それぞれの町へ出向いて公開で議論をするという取り組みを行って来ました。今後はさらに具体的に、地域の将来像を描く作業を行ない、最終的に市町村合併(特に平成一七年三月末の特例優遇措置)に対する方針を決定したいと考えています。しかし、住民の皆さんからも、合併を選択しなかった場合の地域の将来像に関する情報(地方財源の具体的な減額額、補助事業がどの程度厳しくなるのかなど)の不足を強く指摘されます。こうした情報が提示されなければ、合併の是非を比較判断のしようがないというのは、もっともな指摘です。ところが、この点について関係機関に問い合わせても「地方交付税の大幅な減額など、小規模自治体にとっては相当に厳しい状況になる」と言うだけであり、具体的な数字をあげた回答が得られません。つまり今回の合併論議は、その選択肢の真の姿、実態を明らかにされずに判断を迫られているわけであり、合併の諾否は必ず受け取らなければならない中身の分からないプレゼントのようなものだともいえます。したがって国や道に対しては、地域の将来像を描くための材料や情報、誠意ある精一杯の提供を強く望みたいものです。(こんなことはあり得ないとこととは思いますが、)もし仮に、住民を窮地に追い込んで、止むに止まれぬ状況の中での判断を国が期待しているとするなら、それは現代における恐怖政治以外のなにものでもないと感じます。しかし、情報が少ないからと言って、そのことが合併の議論をしない、または判断をしない理由にはなりません。現状の不備を訴えるとともに、法で定められた主旨に沿ってキチンとした判断をすることも市町村の責務であり、少ない情報の中で判断を迫られていることばかりを嘆いても仕方がないことです。
このような状況について、住民への十分な説明とその議論をしないで、この時期を過ごすことは、絶対無に避けなければなりません。合併に対する有利な制度が準備されているため、合併を選択した地域と選択しなかった地域で住民サービスに、将来差が出ることが考えられます。そうなった場合、住民から後悔の声が上がることは十分に予測されます。つまり、特例措置適用の期限内になぜ明確な議論をしなかったのかを問われることもあるのです。合併をするかしないかの判断結論は別にしても、優遇措置を利用できる期限内に何の対応もしないで、将来、住民に不利益をもたらした場合、つまり議論判断をしなかったことによる不利益、すなわち「不作為の不利益」に対する責任を問われることにもなります。
ですから残された期間に十分議論をして、平成十七年三月をどのような姿勢で迎えるのかを明確することが肝心であり、自治体の将来に対する責務なのです。ここ一年弱の期間は、そのために残された最後の時間なのです。
「クルー・リレーエッセイ」
(北海道アルバイト情報社「CLUE(クルー)」2001(平成13)年10月1日778号)
私は、自分がどんな職に就くべきか、道を決められずに、ずっとウロウロしていた。今だって将来がどうなるか、それは自分には分からない。これまでの私の人生は、迷いの連続だったとも言えるし、これからも迷い続けるのだと思う。だから私は、職業や進路についてあまり偉そうなことを言える立場にはない。しかし、私が確信していることがある。それは「つねに道を探し続けることが重要だ」ということだ。
1983年、学校卒業と同時に私はニセコ町役場に就職した。公務員は自分が嫌っていた職だった。しかし人生とは必ずしも自分の思い通りにはならないもので、その嫌だと思っていた公務員になってしまった。実際の職場では、私の予想以上に公務員社会の悪弊が強く感じられ、惨憺たる気持ちになっていた。正直なところ、どの程度の年数を勤務したら、この世界に見切りをつけるべきかで悩んでいた。しかし、どんな選択であれ、その道でしか得ることのできないことがあるのも事実だ。どんなに嫌だと思う世界であっても、その世界の中で得られるものは必死になって手にすべきだ。少し青臭いとも思うが、これが私のポリシーの一つだ。
私は、Bob Dylanや Eric Claptonなどのロックやフォーク音楽が大好きだ。こうした音楽が私の人生に大きな影響を与えている。自分の人生、どの道を進むべきかを決められずにいても、めげないでこれまで生きて来られたのはこうした音楽の力かもしれない。Neil Youngの「孤独の旅路(Heart of Gold)」も私にとってはそうした曲の一つだ。その歌詞はこんな風だ。
私は生きたい 私は伝えたい
私は最高の心を探す鉱夫
こんな心は口では言いあらわせない
私は最高の心を探し続け、そして老いてゆく
人生は思うとおり進むことがなくても、あるいは自分の進むべき道が見つからなくとも、自分が正しいと思うことを探し続けること、あるいは見つける努力を継続すること、それが必要なのだと思う。自分にあった道などというものは簡単には見つからないのが実際だろう。しかし、どんな環境におかれても、捨て鉢や自棄になることなく精一杯生き、自分の道を探し続けることが重要なのだと思う。その探し続ける作業こそが、人生の本質とも言える。
「ムラの社会から見えてくる公共性と税」
(日本都市計画家協会会報「都市計画家 '01夏号」2001(平成13)年8月)
1 はじめに
右肩上がりの拡大基調が終焉した日本経済、国・地方ともに多額の借金を抱えている財政、少子化にともなう人口減少と社会構造の変化など、今、日本の社会は大変革の時を迎えている。たとえば3,224の全ての市町村が、現行の仕組みや体制を必ずしも維持できないのは明らかであり、行政体制の転換を迫られている。2001年4月に誕生した小泉内閣は、こうした時代の流れを受けて大胆な構造改革を進めようとしている。この構造改革は、これまで築き上げてきた日本の繁栄を維持成熟させるためには、ぜひとも必要なことであると私も感じている。小泉改革は、「民間にできることは民間に委ねる」という考えが基本であり、市場・競争原理が働く社会に作り変えることを目指すという。この改革によって地域の公共性が変化しそうな兆しが見え隠れする。しかし、そのことについて十分な議論がなく、改革実現後の社会のあり方が必ずしも明確ではない。
2 ムラ社会と公共性
地域における公共性について、日本の古い時代から戦前頃まで各地で見られた「ムラの社会と寄合」を通して考えてみたい。(これは1982年7月北海道恵庭市で、東京大学法学部西尾勝教授(当時)を講師にして開催された「まちづくりセミナーの報告書」をヒントにしている。)
村には、道路の修理、用水路の管理、個人の屋根の葺き替え、祭典の実施など色々な仕事がある。こうした仕事は、村人全員が参加する寄合で、その方針が決められ、自分たち自らの労力で実行される。地域に住む人たち自らの責任において、自らが考えて地域のことを決め、自分たちの力そのもので仕事を実施、実行するという、まさに自治の原点がムラの寄合にはあった。こうした寄合で話し合いの対象となるのはどんな事柄なのだろうか。私の経験からの生活実感や自分の想像力を働かせて考えてみると、次のような姿が思い浮かぶ。
一つ目は、道普請や水路の管理など、村で生き生活して行く上で多くの人に共通して必要なものや事柄。
二つ目は、個人の屋根の葺き替えなど、個人的なことではあるがその個人が生きて行くために必要なもので、しかも独力では解決、実現できないようなものや事柄。
三つ目は、村のお祭りや縁日など、生きて行く上で直接必要とは言えないものもあるが、最終的に多くの人々の心を満足させることや多くの人や地域の利益になるようなものや事柄。
ムラの寄合では、こんなことを議論しながら地域の共同の生活を守っていたのだろう。ムラの社会にとっては、こうした三つの分野に代表されることが、「地域の公共性」と呼ぶことのできるものだったのではないか。つまり一点目は社会基盤的な側面、二点目は相互扶助による福祉的な側面、三点目は文化や賑わい、場合によっては産業も含む地域振興的な側面。これらは特に明文化されたルールがあるわけでもなく長い間の慣習として、村社会に定着した公共性だったと思われる。
3 制度と目的
この公共的性格を帯びた課題を、効果的・効率的に進めるために、現在は自治の様々な仕組みが用意されている。具体的には、議会や首長、役所の職員、税や社会保障の仕組み、直接参加の方法などである。また制度としては必ずしもはっきりしないが、地域の多様なコミュニティもその仕組みと言えよう。これらの自治の仕組みは、本来、住民が主体になって地域のことを考えるという自治の本質を実現するためのものである。しかし制度が出来上がると人々は制度の果たすべき本来の目的を忘れ、制度そのものを動かすことを目的にする傾向がある。役所の職員は、本来的には住民に雇われている。その雇い主のために仕事をするのが本旨であるが、いつの間にか役所という組織に帰属し、役所に都合の良いことだけを考えてしまうのは、本来の目的を忘れた典型と言えるだろう。
4 税の非報償性と公共性
同じように税の仕組みも、税の本質を忘れた議論に発展しがちだ。一般の貨幣では、支払った対価に応じた財やサービスが得られる。しかし税にはそうではない性質がある。それは支払った税の額よりも多いサービスが得られたり、受けられるサービスが少なかったりする場合があることだ。これを税の非報償性と呼び、これが一般の通貨と違う税の特徴の一つとなっている。この非報償性は一般の通貨の概念から判断すると、極めて不公平なものである。特に最近は、財政難の中で受益と負担の関係を厳しく問う場面が多いが、税を一般の通貨と勘違いして、不公平だと指摘されることが多い。つまり地域や個人の納税額に応じたサービスの提供を求める声である。しかし、これも税の本質を正しく捉えない論議と言える。
この税の非報償性と地域の公共性とは密接不可分の関係になっている。税に非報償性を認めないとするなら、社会基盤整備は大変複雑で利用し難いものになるであろう。生活して行くために必要なものや事柄を社会基盤的公共性であることをムラ社会の例で指摘した。ここに報償性を当てはめると、対価負担能力のない者は生活に必要なものを利用できないことになり、(極論を言うと)生存できないことにもなる。もちろん直接対価を支払ったものだけが利用できる高速道路があり、報償性が正論のようにも思われる。しかし、これは一般の道路という他の選択手段がある中で、高速道路ならではの利便性が得られることを前提としているから成り立っている仕組みといえる。ムラ社会の福祉的公共性や地域振興的公共性も、税の非報償性がなければ実現しないものであることは言うまでもない。
5 おわりに
変革の時を迎え、我々の社会の様々な仕組みにメスが入りかけている。その手術の中で、対価や需要に応じた経済原則を基本とする、競争原理の働く民間主導の社会を実現する必要が叫ばれている。また受益と負担の整合性を取ることが公平だとも言われる。この考えの多くに賛同できるが、公共性という概念を実現するためには、それが全てではない。民間主導の市場・競争原理だけでは実現できない側面もあることを理解しながら、構造改革の議論を進めなければならない。この実現できない側面そのものが公共性の核心であり、公的セクターの果たす役割の本質とも言える。ムラの社会は我々に多くのことを語りかけている。
「日本の構造改革 増大する町村会の役割」
(読売新聞 北の論点(北海道版)2001(平成13)年7月10日)
先週の五日、全国町村会主催の臨時の全国町村長大会が東京で開催されました。これは、今回の小泉改革が、地方の実情を無視した改革とならないよう国や政府にアピールするために緊急に開かれたものです。
私は日本の構造改革は絶対に必要だと考えています。しかし、地域の自立や地域間競争の名のもとに市場原理を導入することだけが今回の改革であるなら、それには反論せざるを得ません。地方の公共交通や情報通信基盤、山間過疎地など経済原則や競争原理だけでは成り立たない分野や地域がたくさんあります。一方、町村が単に「金と権限を寄こせ」と要求することは、日本の財政の現状を見ると、そもそも無理があります。国や政府に対して単に要求をするのではなく、「あるべき社会や国の姿」を具体的に町村の側から提起することが重要です。それは、地域のエゴや都市との対立の中で要求をすることではありません。人口は少ないが国土全体の七割を占める町村問題を考えることは、都市の問題を考えることと同義であり、ひいては国全体を考えることになるという議論を喚起させることが重要です。
具体的には、現行の国偏重の財源配分を見直して自治体への財源比重を高めること。その上で標準的財源に達しない自治体への財源補填の仕組みを実施すること。現行の縦割りのメニュー補助金を極力削減すること。これらは自治体の責任ある自立を真に望むのであれば、ぜひとも必要なことです。また都市部への人口集中を避ける方策、たとえば税制などによる集中緩和の誘導なども考える必要があります。集中回避による都市問題の解決は、都市機能の向上をもたらすばかりではなく、都市、地方の双方にとってメリットなのです。
市町村は、合併を強制しないことを望んでいます。しかし市町村行政体制の枠組みや市町村経営のあり方について、何らかの変化が必要なのは事実です。つまり合併を強制されないことは、行政体制あり方などについて何も対応しないことではありません。強制を嫌うのなら、自主的に考え、自治体の側からあるべき姿を提示する必要があります。このためには、地域の広域的領域を包括する政府である都道府県の役割が重要です。合併問題は市町村の自主的判断が原則だから関与しないというのはナンセンスです。
こうした行財政や行政体制問題を自主的に考えることは簡単ではありません。特に広域や全国的な問題を扱うことは、自治体、特に小規模の町村にとって、あまり得意ではないのも事実です。そこで町村の連合事務局とも言える町村会が、具体案を検討するなど中心的役割を担っていくことが重要です。町村会は、まさに町村自らが組織するものです。その組織の役割を柔軟に見直し、かつ強化することが大切です。変化の多い行政課題の解決に、町村会の果たす役割は極めて大きく、政策立案、提言型の町村会へ変貌してゆくことが、今後の自治の鍵を握っているとも言えます。
(以上が最終原稿ですが、これは次の文が下書きとなっています。下書きのため整理されていない部分もありますが、参考までに掲載します。)
先週の五日、臨時の全国町村長大会が東京で開催されました。全国町村長大会は、例年十二月上旬に定期大会が開催されるのみであり、臨時の大会を開くのは一九六四年以来三十七年ぶりとのことです。
これは、六月下旬に政府の経済財政諮問会議の基本方針で打ち出された地方交付税の見直しなどが、地方の実情を無視した改革とならないよう国や政府にアピールするために緊急に開かれたものです。大会は「町村自治確立全国大会」と銘打って、三十五度近い猛暑の中、全国二五五四町村から約二千人の町村長が参加して開催されました。
全国町村会副会長である佐々木隆人えりも町長が「不条理な改革」を否定する趣旨の開会宣言を行い、会場の熱気は一気に高まり、主催者のあいさつでは「無能な首長廃止論」などの過激な言葉も飛び出しました。全国の町村長が今回の改革に対して抱いている危機感や不安の大きさを象徴する幕開けとなりました。しかしその後、政党の代表などからの挨拶は、一部に地方中心の国をつくるとの発言がありましたが、現行制度の内容を繰り返すだけの差し障りのない発言も多く、冒頭の熱気とは裏腹に会場にいた多くの人が肩透かしを食った感じがします。
大会の後段では、交付税総額を安定的に確保すること、道路財源を確保すること、市町村合併を絶対に強制しないこと内容とする三つの特別決議を行い、さらに大会宣言を採択して三十七年振りの臨時全国大会が閉幕となりました。
日本経済の低迷、収支バランスの取れない財政、少子化にともなう人口減少と社会構造の変化など、今、日本の社会に起きている様々な現象を考えると、構造改革は絶対に必要なことだと私は考えています。しかし、地域の自立や地域間競争の名のもとに市場原理を導入するのが今回の改革であるなら、それには反論せざるを得ません。地方の公共交通や情報通信基盤、山間過疎地など経済原則や競争原理だけでは成り立たない分野や地域がたくさんあります。
一方、現行財源の総枠を維持することを前提にして、地方に「金と権限を寄こせ」と要求することは、そもそも無理があります。現在、国のあらゆる分野で痛みを伴った改革を迫られており、地方財源だけを温存して欲しいというのは難しい話です。このような単なる要求は、日本の人口の八割が居住する市部住民多くの納得を得られないばかりか、都市と地方の溝を深めることになります。本来、都市と地方が混在しながら相互の役割を担いつつ、両地域が一体となって国は形づくられるべきものです。
したがって国や政府に対して単に要求をするのではなく、「あるべき社会や国の姿」を具体的に地方の側から提起することが重要です。それは、地方のエゴや都市との対立の中で要求をすることではありません。地方問題を考えることは、都市の問題も考えることと同じことでああり、ひいては国全体を考えることになるという国民全体の議論を喚起させることが重要です。
具体的には、現行の国偏重の財源配分を見直し、自治体への財源比重を高め、その上で標準的財源レベルに達しない地方への財源補填の仕組みを実施すること。現行の縦割りのメニュー補助金を極力削減すること。これらは地方の責任ある自立を真に望むのであれば、ぜひとも必要なことだと考えます。また都市の交通渋滞や混雑緩和のため、その量に見合った交通インフラを整備することは、都市問題の直接的な解決手法ですが、整備が進めば進むほど新たなものや人の流れを生み出す悪循環に陥っている側面も否定できません。そこで都市問題解決は、こうした従来の手法に加え、そもそも都市部への人口集中を避ける方策、たとえば税制などによる集中緩和の誘導なども考える必要があります。集中回避による都市問題の解決は、都市機能の向上をもたらすだけではなく、地方にとっても歓迎すべきことであり、双方にとってメリットなのです。
また自治体側は、市町村合併を強制しないことを望んでいます。しかし市町村行政体制の枠組みや市町村経営のあり方について、何らかの変化が必要なのは事実です。つまり合併を強制されないということは、行政体制あり方などについて何も対応しないことと同義ではありません。強制を嫌うのなら、自主的に考え、自治体の側からあるべき姿を提示しなければなりません。このためには、市町村の自主性は当然のことですが、広域的領域を包括する政府としての都道府県の果たすべき役割が重要です。合併問題は市町村の自主的判断が原則だから関与しないというのはナンセンスです。
しかし、こうした行財政問題や行政体制のあり方を自主的に考えることは簡単なことではありません。特に広域や全国的な問題を扱うことは、自治体、特に小規模の町村にとって、あまり得意なことではないのも事実です。そこで、これら町村のある種の連合事務局とも言える町村会が、具体案を検討するなど中心的役割を担っていくことが重要だと感じます。町村会は、まさに町村自らが組織するものです。変化の多い行政課題の解決に、町村会の果たす役割は極めて大きく、今後の自治の鍵を握っているとも言えます。
「地方自治から見た首相公選制」
(弘文堂『いま、「首相公選制」を考える』2001(平成13)年7月刊 収載)
日本の戦後改革は、欧米社会を手本・目標とした主に経済を軸とする取り組みであった。それは中央集権的であり、保護的、依存的であったと総括されている。これによって、世界でも例のない急速なスピードで戦後復興が進み、現在の日本は先進国の一翼を担うまでになっている。このことは高く評価されて良い。国民の多くが納得しうる明確な目標に向かって邁進するためには、効率のよい行政運営が必要であり、そのために中央集権的な手法は極めて効果的なものであった。
反面、中央集権による保護、依存的な手法は、自らが自分たちの暮らしや社会を切り開き、自らが責任を持って営んで行く民主主義の根本とも言える自立性の醸成にはマイナスも面も多い。戦後50年の歴史の中で、日本の民主主義は、自己決定、自己責任の本質を忘れ、何か困難が発生すると、どこかでだれかがうまく解決してくれるという風潮が根底に流れる「お任せ民主主義」だったとも言える。
戦後の衆議院総選挙の投票率は、年によってばらつきはあるものの、50%台後半から70数%の幅で推移し、徐々に減少傾向が見られる。また統一地方選挙における市区町村長選挙は、昭和26年の90.14%を最高に、以後ほぼ一貫して平均投票率が下がり平成11年には60%程度となっている。この投票率の推移から判断すると、民主主義を機能させるために極めて重要な自分たちの代表を選ぶ選挙への関心が薄れ、お任せ民主主義が蔓延しているようだ。
ところが近年、日本の自治体の元気が良いといわれる。国レベルでの各種施策の実施に先駆けて、種々の制度や仕組みの実現に大胆に挑戦している。情報公開制度は、1982年に山形県金山町で初めて条例化されたものだ。以後、全国の自治体で情報公開に関する条例の制定が相次いでいる。一方、国では2001年4月にやっと情報公開法が施行されたところであり、情報公開の仕組みは、まさに市民や自治体が先導したと言える。また行政の事務事業を評価する仕組みづくりも、三重県や北海道などの自治体が先導役を果たしたと言ってよい。さらに主権者である住民の意思を直接問う住民投票制度も、自治体を中心に随分と論議、実施されるようになっている。他にもたくさんの実践があるが、なぜ国に先駆けて自治体では、新たなこうした分野への取り組みが盛んなのだろうか。
自治の現場では、住民にとって極めて身近で直接的な課題に直面することが多い。公害、介護、廃棄物、原子力防災など、枚挙にいとまがない。また身近なところで自治の活動が行われているため、税金のムダ遣いや公務員の怠慢などが、住民の目に付きやすいとも言える。つまり自治の現場で直面する各種の課題は、まさに住民自身に直接影響のある問題としてとらえることができ、そのことが何らかの行動の原動力になっている。つまり自分に直接影響のある身近な問題であれば、住民の当然の権利である行政の各種情報を知ること、それに対する欲求が高まるのは当然のことだ(知る権利の行使)。またものごとの真相、事実を知れば、自分たちの意思を直接、具体的に表明する行動が誘引される。さらに自分たちの手で何かを成し遂げることにもつながる(意見表明や具体的な活動による住民参加)。また行政側にも、こうした住民の動きにこたえるためのコミュニケーション(広報広聴活動や説明責任の遂行)の姿勢が生まれる。さらに単なるコミュニケーションを超えた科学的考察(評価など)にも発展している。さらに自治体の首長選挙は、知事選挙よりも市区町村長選挙の方が、一般的に高投票率である。こうしたことからも、課題が身近であることが、日本を広く席巻していた「お任せ民主主義」からの脱却にプラスに作用し、新分野への挑戦を通して、自治の現場では真の民主主義の萌芽が生まれつつある。つまり、住民が直接、各種の課題に係わることへの欲求が強くなっており、そのことが元気の良い地域づくりの一つの潮流となっているのだ。
近年、欧米を手本にした追従政策の終焉、中央集権から分権型へ、護送船団に方式による結果の平等から機会均等による自由競争、自主自立社会などへの移行など、大胆な変化が求められていることを、多くの国民が認識するようになった。また、みんなが必ずしも同じ価値観でなくとも良いという、価値や意識に対する国民の自由度も高まりつつある。さらには少子化による人口減が社会の構造的な変化をもたらし、社会保障制度などへの将来不安も生まれている。経済成長の鈍化による財政の先行きも不透明だ。こうした状況を総括して、2001年4月に誕生した新政権を担う首相の所信表明演説では「これまで、うまく機能してきた仕組みが、21世紀の社会に必ずしもふさわしくないことが明らか」と語られ、日本の社会が大きな変革の時代に入っていることを印象付けた。国民にとって絵空事、他人事のように感じられていた日本社会全体の枠組みの問題や国政の課題が、実は身近で、国民の暮らしに直結することを、こうした変革への具体例が教えてくれる。しかもその解決のためには相当な困難、痛みが伴うことも広く認識されるようになった。つまり国政レベルの場においても自治の現場と似たように、お任せ民主主義から一歩踏み出さなければならないという雰囲気が感じられるようになっている。
こうしたことを背景として、自分たちの現状や将来を大きく左右する日本の総理大臣を直接自分たちの手で選びたいとの純粋な気持ちが、国民の中に生まれるのは当然のことであろう。また昨今の政党活動が同一政党内グループ間のせめぎ合いの中で、分かりにくくなっている。主に、こうした不可解なグループである政党の代表といえる人が、国会の議決によって総理大臣として指名される。正直なところ国民にとって、こうした状況は理解し難いものだし、胡散臭さすら感ずるものだ。だから直接自分たちの手で首相を選べば、この理解しがたい状況を避けることができると考えるのも当然だろう。また政治の課題が山積し、その多くが国民生活に直結するものであればあるほど、国民自らが関与したい、しなければという欲求が増加し、首相公選制への期待はますます高まる。こうした傾向は、良く解釈をすれば国民の自立性の高まりとも受け止められる。
しかし、現在の首相公選制に対する国民の思いを住民との直接対話などで詳しく聞いてみると、単に自分で選びたいという純粋な欲求であり、深謀遠慮がないという側面も否定できない。つまり公選制が、単なる人気投票に終わる可能性や衆愚政治に陥る可能性も十分にあるのだ。そこで仮に公選制を導入するとしても、単なる人気投票としないための制度的な工夫が必要だ。たとえば、候補者を絞り込むための関門を高くすることや、その関門を多くすることなどである。そうすれば選挙に費やすエネルギーが増大し、頻繁な選挙の実施は難しくなる。それだけに選出には慎重さも生まれるものと思う。いずれにしても単純な一回のみの選挙ではなく、十分な制度設計が必要である。
自治体の首長選挙でも、同じように人気投票や衆愚政治が危惧される。しかし実際には、その対策がないままに直接、一回の選挙で首長が決定されている。これについて、私は次のように見ている。そもそも地域住民の中に4年に一回首長を選ぶことが浸透しており、住民の意識の中で(能動的に意識をする、しないは別にして)日常的に首長候補選びが行われている。また自治体の範囲が狭いため、多くの住民の目配りが効く範囲での選挙である。だから首長適任者を判断しやすい。(しかし前評判と違う候補や、人気先行型の候補が当選することも当然あるが、これは小規模自治体よりは大規模自治体に多いようだ。)また自治体の場合は、多選批判が出るほど長期にわたって首長を務める場合もあるが、種々の混乱で任期を全うしないで交代するケースも少なくない。つまり仮に選挙で衆愚的な悪い面が出たとしても、自治体の自己責任において、結構柔軟に首のすげ替えが行われている。自治体では、国どうしの国際関係ほどに、自己の存在に大きな影響を与えるような緊密で重厚な自治体間関係がそれほど存在しない。この他との関係の希薄さが自己完結の中での首長交代を可能にしている。さらにこれまで、都道府県は国の、市町村は国と都道府県の下部組織としての色合いが濃く裁量権と責任が少なかったために、基本的にどの自治体でも均質な自治体運営が可能であった。つまり、首長の資質が低くても極端に行政活動が劣化しなかったことも指摘できる。こんな背景があって、自治体首長の直接公選制が機能していたのではないかと私は推測している。
さて国民の首相公選制への期待が高まり、仮に理想的な選挙制度が考えられた場合、それをすぐに実施できるだろうか。私は、この具体的な実現手順には、相当な隘路があるものと考えている。まず憲法改正の問題である。憲法の改正には厳格な縛りがあるが、首相公選制に限って憲法を改正するということが技術的に、あるいは感情的に可能なのだろうか。現行憲法について、改正を指向する動きも少なくない。首相公選論議に乗じて、憲法全体の改正を狙うことも不可能ではない。つまり首相公選制に限った議論が極めて難しいのである。もう一点は、これも指摘され尽くしているが天皇制との整合性をどうするかという、戦後日本社会の大きな課題を乗り越えなければならないことだ。こうした2点を考えても、具体的な公選制実現の道のりは単純ではない。
国民の首相公選制への指向は十分に理解できるが、その具体的実現の道のりは簡単ではない。公選制を論ずることは憲法全体を論ずることであるとの覚悟が必要であり、日本のあり方そのものをどうするかという議論を避け、首相の選出方法だけに限定した議論は極めて難しい。国民全体に、憲法全体を見直す踏ん切り、覚悟がつくまでは、現行憲法の枠組みの中で、社会の変化に応じて、国民主権をどう全うするのかといった方策を検討するのが現実的ではないかと感ずる。もちろんこれは、改正などを含む憲法論議を阻害するものではない。
「廃棄物処理を中心とする環境問題への取組と課題」
(北海道自治政策研修センター政策研究室「ほっかいどう政策研究 第11号」2001(平成13)年3月)
本稿では、廃棄物処理をはじめとする環境問題についてニセコ町での取組をふまえながら、日頃から環境問題について、感じていることのいくつかを思いつくままに記してみたい。
1 地球規模の視点
私がここであえて言及するまでもなく、環境問題は、現在、地球規模の大きな課題になっている。これは、大量生産、大量消費、大量廃棄による経済発展によって、物質的な豊かさを手に入れた20世紀の大きな負の遺産であり、早急に対策を講ずることが必要となっている。しかし、この20世紀の発展や豊かさにも国ごと、地域ごとに格差があることや、環境問題に対する各国の認識のずれから、地球規模での対策がなかなか進んでいないのが現状である。このことは、昨年11月にオランダのハーグで開催された気候変動枠組条約第6回会議(COP6)での交渉決裂からも容易にうかがい知ることができる。
地球上を絵の具溶きのパレットに見立てて見よう。人類が地球上に出現したとされる100万年以上の昔は、赤、青、緑、白などカラフルな絵の具が、単色ごとにきちんと色分けをされ、パレットの仕切りごとにチューブから絞り出されていた状態といえる。絵の具は、まだ混ぜ合わされていない。人類は徐々に、火や石器を使うことを覚え、野生の動植物に頼る獲得経済を経て、農耕牧畜の生産経済へと進化する。この過程で、人類は自然への働きかけを強め、それと引きかえに生活の安定性を得る。しかし、この時点ではまだパレットの絵の具の混ざり度合いは、微々たるものであり、チューブから絞り出したままの状態と言ってよい。その後、18世紀後半からの産業革命によって経済活動の中に機械や動力が導入される。これをきっかけとして社会構造や経済のあり方が大きく転換をして人々の生活も一変するようになる。この産業革命を契機として、化石燃料の使用や地球上の形状変更なが進み、人類は物質的な充足の道にひた走ることになる。パレットの絵の具が徐々に混ぜ合わされ始めるのである。その勢いは止まるところを知らず、科学技術の進歩とあいまって、絵の具はどんどん混ざってゆく。大気や水質の汚染、熱帯雨林の破壊、海洋汚染、地球温暖化、オゾン層の破壊など、地球規模で環境や生態系が危機に瀕し、人類全体の生存を脅かすまでになっている。こうした状況を目の当たりにして人類は初めて、一度混ぜ合わせたパレットの上の絵の具が元に戻らないことを知ることになる。
そこで現在、残った絵の具をそのままにしながら、我々人類がこの地球上で暮らしてゆくすべを何とか編み出そうとして、様々な取り組みが始まっている。しかし、冒頭に述べたCOP6の例を見るまでもなく、地球規模での合意に相当の隘路があるのが実態である。しかし、これ以上絵の具を混ぜ合わせて取り返しのつかない範囲を拡大することのないよう、あらゆる機会をとらえて環境に関する議論を喚起し、具体的な行動に移ることが急務の課題となっている。
2 環境対策は都市も地方にも共通の課題
15年ほど前のことだったと思う。私の職場のある職員が、環境問題に配慮した事務所づくりの一歩として、コピー用紙を再生紙に変更することを提案した。ところがその提案は、「こんなに環境のよいニセコで、無理して経費をかけての環境対策は必要がない」などの理由で一蹴された。今考えるととても大胆な理由だが、たかだか15年前のニセコ町役場の実態である。また同じ頃、近隣の自治体でゴミ処理について様々な議論が沸騰し、分別や減量化への取り組みが開始されつつあった。しかし、こうした議論を知りつつも、ニセコ町ではゴミは全量一括して焼却するか沢地などへの埋め立て処分で良いとの考えが主流を占めていた。こうした当時のニセコ町の状況を思い起こしてみると、「環境問題は都市の課題であり田舎にはあまり関係がない」、「田舎で環境のことを問題にするのは、ごく限られた方や、自然保護運動家など」との発言が多かったように感ずる。
しかし現在、ニセコ町でも環境問題は急務の課題となって浮上している。具体的には廃棄物や家畜糞尿などの処理、水質や環境保全のための下水道や浄化槽の整備、廃棄物の不法投棄対策、ニセコの山や河川など自然をどのように保護するかなどであり、環境に関する課題は山積している。こうした状況を町民の皆さんに説明すると、大多数の方には現状と対策についてご理解を頂ける。ところが、まだ少しの方には環境の良いニセコでは縁の薄い課題だと反論される場面もある。しかし、環境問題は都市、地方を問わず、地球規模の視点から、我々が取り組まなければならない急務の課題なのだ。地球規模で考え、身近な実践の積み重ねが必要となっている。
3 広域的取り組みの課題
現在、羊蹄山麓7町村(ニセコ町、倶知安町、京極町、喜茂別町、留寿都村、真狩村、蘭越町、人口約3万8千人)では、平成14年12月からのダイオキシン規制の強化に合わせて、ごみ処理の広域化計画を進めている。具体的には、7町村の一般廃棄物を一箇所で中間処理し、その後、それぞれの町村で最終処分する内容となっている。広域の中間処理は、倶知安町の現有施設をダイオキシン新規制などに合致するように改造して対応することとなっており、現在、その準備が鋭意進められている。
しかし、本来この広域化計画は、さらに広い14町村の人口約8万人を範囲とすることを前提として協議が始まったもので、立案の道のりは簡単なものではなかった。紆余曲折を経て、現在の7町村の広域に落ち着いているのだが、こうした施設の広域的取り組みは、簡単なものではない。この14町村から7町村への協議の過程を通して、いくつかの課題が浮かび上がってくる。
1)自治体間の廃棄物に対する認識や対応のズレや違い
これまでの各市町村の廃棄物処理は、統一した見解のもとで実施されていたわけではない。基本的には、それぞれの自治体や広域処理単位ごとに、法令などの範囲内で判断をして廃棄物対策を行っている。そのため廃棄物に対する認識がまちまちであり、ある種のズレが存在している。これらのズレを整理しながら、一つの旗のもとに集うことは容易なことではない。
2)現有施設への既投資額をどのように取り扱うか
新たな広域中間処理施設の整備に対して異論がない場合でも、現有施設の将来の取り扱いに課題が生まれる。特に既存施設への投資が比較的新しい時代に行われている場合は、その投資をどう取り扱うのかなどについて、十分な協議と高度の政治的判断が必要になってくる。
3)広域的な議論手法が未発達
課題そのものの困難さばかりではなく、そもそも各自治体間どうしで、広域的課題を話し合う手法が未発達である。各自治体議会や住民との関係など、整理しなければならないことが多い。
4)広域的迷惑施設の住民合意の難しさ
今回の山麓7町村の廃棄物中間処理施設は、倶知安町に置かれることとなっているが、迷惑施設であるがゆえに、地域の住民の皆さんとの協議に相当の時間を要している。その内容も簡単なものではなく、住民の皆さんにとっても行政の側にとっても困難な道のりである。この調整は、地元である倶知安町が全面的に行っているが、広域的施設という性格上、はたしてそれで良いのかという疑問がある。もっと関係町村が積極的に住民の皆さんとの協議の場に参画すべきではないかと感ずる。しかし逆に、広域的施設とはいえ、それを受け入れるか否かの判断は、自治体固有の問題であり、そこに他の自治体の入り込む余地はないとの考えもある。これらについても整理がついていないが、施設が整備される地区住民などとの交渉が、当該自治体の関係者のみで行われることに対し、そのご苦労を思うと申し訳ない気持ちなど、複雑な感情がわきあがってくる。
以上、広域化を考えるにあたっていくつかの課題を述べたが、ダイオキシン規制のように実施の期限が定められているものは、その議論に十分な時間をかけることができず、さらに問題を複雑にしている。
4 規制と財政負担など
環境問題を考える際には、徹底した情報公開と住民参加や議会を通した十分な議論が不可欠である。その議論の背景には、科学的な裏づけや技術的な信頼が必要なことは言うまでもない。迷惑施設建設などの場合には、これらは特に重要なことだと考える。しかし、いくら事前に情報提供をして議論を喚起しようとしても、問題が身近に迫らなければ住民の関心が盛り上がらない側面も否定できず、議論とは難しいものだと感ずる。(参考:拙文「「迷惑施設」計画と透明性」)晨(ぎょうせい 2000年12月号、同「情報共有にもとづく住民参加」前衛(日本共産党中央委員会 2000年5月号))加えて、行政の予算や財源確保のための補助制度などが、議論の阻害要因となることも多く、これらの問題を3点指摘したい。
1)規制と財源の裏付け
平成14年12月からダイオキシンの排出規制が強化される。これに対応するため全国の廃棄物処理施設の多くで、何らかの改修や新設など、新たな投資が必要になっている。また期限までに規制をクリアするために、この投資は平成13〜14年度の2年間に集中しているらしい。(残念ならが、私の手元では整備が集中しているという具体のデーターは把握できない。しかし、国庫補助要望などの際に、整備事業の集中を理由として、従前と同程度の財源確保が難しいとの話を伺うことからの類推である。)
ここで指摘したいのは、規制の強化と同時に、それをクリアするための対策費が確保されているかどうかである。特に対策の期限が区切られている場合は、一定の期間内に必要とされる対策経費の総額は、ある程度予測のつくものであろう。その総額の支出のペースは、必ずしも年度ごとに平準化したものではなく、一般的には規制発表の初期は小額であり、規制期限が近くなるにつれ増嵩する傾向が考えられる。こうしたことを念頭におきながら財源の確保がされることは必須のことである。
なお、一般廃棄物処理の責務は基本的には自治体にあるのだから、国の財源確保は、予算の範囲で行うべきとの議論も耳する。しかし、日本の財政の構造は、あらかじめ国が地方より歳入を多めに確保し、歳出の段階で、その使途に応じて国から地方への移転を前提として組み立てられている。(つまり財源に対する地方の自由裁量の範囲は狭いのである。)こうしたことを考えると、地方が行うことを義務付けられた対策については、たとえその責務が地方に属する事務であっても、国全体としての財源確保が是非とも必要なことだ。
2)単年度予算主義などと議論
環境問題、特に迷惑施設などの整備は、住民参加や議会をとおした十分な議論が必須であることは前に述べたとおりである。また、こうした整備について国庫補助などの財源手当てが必要なことも述べたとおりである。しかし、この財源確保のための手続きや現行の予算制度などが、議論のスケジュールと必ずしも一致しない場面が多く、十分な議論を阻害することがある。
具体的には、補助金の採択などのためには、補助事務スケジュールの都合上ある一定の期限までに、自治体としての意思の決定を迫られるなどの場面である。しかもこれは当該事業の実施年度より早い時期に意思の決定を求められることが多い。また、補正予算による財源措置の場合は、一週間などという短期間で、決定を迫られることもある。こうした財源確保手続き上の意思決定は、実際の現場における協議の日程とは必ずしも合致するものではなく、自治体の担当者が大変苦慮する課題となっている。また事業執行中に何らかのトラブルがあっても、予算単年度主義の原則を貫くために、本来、制度上保障されている予算繰越などの手続きを認めない風潮が多い。これは特に自治体側の理由による繰越などの場面に多く見られるとの印象がある。
十分な議論を行うためには、こうした財源確保手続きや予算執行制度上の柔軟な対応、工夫が是非とも必要なものと感ずる。
3)規制期限と議論
平成14年12月からのダイオキシン規制のように、規制に期限の定められているものが多いが、その期限が妥当であるか否かの議論が十分ではない。今回のダイオキシン規制は発表されてから規制発効までの猶予期間が5年である。この5年と言う期間が妥当なものなのか、財源確保手続きや議論の日程、環境影響評価手続きの期間など、規制発効までの猶予期間は多方面から検討すべきであり、単なる数字上で区切りのよい数値であってはならないはずだ。
今回のダイオキシンの規制強化を例にすると、規制が発表されてから概ね次の日程で進んでいる。都道府県の広域化計画の策定、市町村間での広域化計画と調整、環境影響調査や補助事業採択など財源確保と実際の工事施工など。これら一連の作業を考えると、5年という猶予期限は合理的なものであったのか疑問に思う点も少なくない。もちろん、この猶予期間の合理性は、国全体としての財源確保の合理性とも密接に連動しているものである。
5 環境問題と身の丈に合わない経費
ニセコ町では、各種の手法を通して廃棄物をはじめとする環境対策への取り組みを開始したところであり、その概要は次のとおりである。
・分別の徹底(現行15品目からさらに増加を検討)と再資源化(リサイクル)、再使用(リユース)によるゴミの減量化
・そもそもゴミになるものを使用しないための取り組み(リデュース)(例:過剰包装の廃止、買物袋の利用啓発)
・広域による中間処理施設の整備(平成14年度完成)
・最終処分場の新設(クローズド型、平成14年度完成)
・現有最終処分場の適正な管理と閉鎖(平成15年度以降に閉鎖)
・下水道整備促進(平成12年度一部供用開始)
・合併処理浄化槽の普及(下水道区域外、平成12年度〜)
・生ゴミの処理対策(個別処理(平成12年度〜)と集合処理(平成14年度〜)の併用)
・家畜糞尿の適正な処理(平成11年度〜)
・堆肥センター整備(家畜糞尿、下水道汚泥、生ゴミを堆肥化、平成14年度完成予定)による地域循環型農業の構築
・廃棄物の不法投棄対策
・環境基本計画の樹立(平成12〜13年度)
・環境基本条例の検討(平成13年度以降)
これらの対策は、現状の地球環境や日本の環境行政のあり方を考えると、特別に過大なものとは思えない。どちらかと言えば、必要最小限のものを大急ぎで実施しているのという見方のほうが正確だと思う。しかし、これらの事業に要する経費は莫大なものである。ニセコ町の標準財政規模は26億円程度であり町税は6億円強、財政力指数は0.26程度となっている。
こうした中で、平成5年度当時、ゴミ対策経費の一般財源は、2〜3千万円程度であったものが、現在は、1億円弱までに上っている。平成14年にゴミの広域処理が開始されると、この金額はさらに跳ね上がり2億円程度が見込まれている。この増加傾向はその後も続き平成20年頃には3億円に迫る勢いだ。
廃棄物対策など環境問題は、大変重要な急務の課題ではあるが、こうした経費負担の将来見通しを見ていると、小規模自治体の身の丈に合わない過大なものであるとも感ずる。こうした財政面からの分析に国をあげて取り組むべき必要性を感じている。
6 製造流通過程の取り組み
環境問題を論ずるとき、最終的には個々人のモラルの問題に帰結することが多い。そのため各自治体では、分別やゴミの排出について、あるいは地球環境全般について、あらゆる場面をとおして勉強会などを開催し啓発活動を行っている。こうした学習会などを開催すると、多くの方が「地球規模で考え、地域や個人のレベルからの実践の積み重ね」に賛同し、環境の改善に寄与するために何をすべきかを真剣に考えてくれる。また経費の負担についても議論が及ぶことも多く、モラルの低下が散見され憂いることも多い反面、住民意識の高さに安堵感も覚える。こうした議論の際に、必ずといってよいほど出される話題は、製造や流通過程における企業の関与の問題である。
つまり、多くの住民が苦労しながら分別をして、再使用や再資源化を通してゴミの減量化を図り、環境の改善やコストの低減に努めている。しかし、この作業は相当に辛いものであり限界がある。特に高齢化が進むと、複雑な分別は手に負えず投げ出してしまうことも十分に考えられる。そこで住民の皆さんから良く提言を受け、私自身も同感に思うのは、製造流通過程の見直しによる廃棄物対策の必要性である。具体的には次のアイディアなどが多く寄せられている。
・あらゆる包装容器や雑誌、紙などに分別しやすいマークを付ける(分別の種類が不明のものは販売できないなどの規制)
・瓶やペットボトルなどの規格の統一
・デポジット制度の普及
・計り売りの推進
・トレイやパックなどの容器包装の使用規制
・リターナブル瓶による販売の促進
・ゴミを少なくできる製品の販売
・廃棄物減量企業の認証と優遇措置
消費者の歓心におもねり、川の上流から便利で使いやすいものばかりを無制限に流す時代に終止符を打たない限り、抜本的なゴミ対策は実現しないというのが、ゴミ問題に関心の高い多くの住民の意見である。これは日本の国が本気で環境対策に取り組むかどうかの試金石でもあると思う。
7 まとめ
以上、廃棄物処理を中心とする環境問題について、思いつくままにいくつかの論点を書き連ねてみた。
環境問題は、我々の生活のあり方、質を見直すことであると同時に、国としての大きな姿勢、あり方を構築することでもある。また北海道は、日本の中では、パレットに手付かずの絵の具が比較的多い地域だと言われている。さらに島という、ある種、外とは独立し閉鎖した空間であり、この土地は日本の環境問題の先進地となる要素を持っている。超えるべき課題は少なくないが、環境に関する北海道からの発信が日本のあり方をリードすることが、元気な北海道を作り上げる一つの道だと考える。
「さよなら、お任せ民主主義」
(PHP研究所「Voice」2001(平成13)年6月号第282号)
== 地域の身の丈に合った実(じつ)のある生活を実現したい ==
現在の日本の状況を、明治維新、戦後改革に匹敵する「第3の改革」と呼ぶ方が多い。私はこの「第3の改革」は、黒船が来たとか戦争が終わったなどの「明確な切っ掛けがない」こと。また、西欧の文明に学ぶことやGHQなどの指示、指導のような「お手本、牽引者がない」ことなどの点で、従前の改革とは大きく、その質が異なっていると感じている。
したがって今回の改革は、自分たち自らが問題意識をもって課題を発見し、自分たち自らの決断と行動でその課題を乗り越えて行くことが必須である。このことは、国と地方、官と民、個人と公を問わず、日本のあらゆる分野において必要なことであり、利己主義的ではない社会性に根ざした自主性や自立性が、ぜひとも必要な状況になっている。
憲法第8章には地方自治の原則が定められているが、戦後50年近く、日本の自治体では、必ずしも自治本来の機能を発揮しなくともよかった。それは戦後日本の目指すべき姿が、ある種はっきりしていたことに起因する。つまり、アメリカやヨーロッパを目標として経済復興を軸にしながらまい進してきた。このためには上意下達による中央集権的手法で、日本人全体がほぼ同じ方向を向いて動くこと、働くことが効果的であった。
しかし、こうした風潮の中では、社会全体の自主性や自立性が抑制される傾向があり、判断や行動の主体が「自己(self)」ではなく「非自己(non-self)」であることが常識化する。つまり自己が主体となって、その活動の総和が社会を支え未来に向かって伸び広がって行くというよりは、非自己に頼る依存的な風潮が社会を席巻していた。この依存の中では、「個人と公の峻別」や「公共性とは何か」などについてきちんとした議論をする必要もなく、逆に議論はわずらわしいことだったともいえる。困ったことが起こり、問題が発生した場合には、誰かがどこかでうまくやってくれるという「お任せ民主主義」が、これまでの実態だったのだ。しかし第3の改革を乗り越えるためには、この「お任せ民主主義」からの脱却が大きな鍵になる。
ニセコ町は、現在、人口が約4,600人、農業と観光を基幹産業とする自治体だ。昭和30年代初頭には、人口が9,000人を超えていたが、高度経済成長期に農業者を中心として都市部へ人口が流出し過疎指定となっている。こうした町で、私は平成6年に町長に就任した。
私の町長選挙出馬の動機は、「自治の本質」を取り戻し、「自治の仕組み」との乖離を埋めることによって、自治本来の活力で地域の身の丈にあった、実(じつ)のある生活を実現することであった。自治とは、読んで字のごとく、地域にかかわる住民が「自ら治める」ことである。つまり地域社会や地域の生活について、責任を持って自ら考え行動することが、自治の本質であると考える。主体はその地域にかかわる住民であり、その住民が能動的に考え行動することが重要だ。
自治の仕組みとは、この自治の本質を、社会情勢の変化に応じて効果的、あるいは効率的に実現してゆくために色々と準備された制度や機構と考えている。具体的には、自治の主体である住民の代表(首長や議員)、地域の仕事を進める専門スタッフである役所の職員、議会、税や財政制度、コミュニティなど、広範にわたる。
私の問題意識は、自治の本質が発揮されていないことと、自治の本質と仕組みとの間に大きな乖離が生まれており、第3の改革に集約される日本の社会に迫ってくる種々の課題に対処できないということであった。その問題意識を具体的に例示すれば次のとおりである。
・自治の主体である住民の主体性の欠如(お任せ民主主義、無関心など)と、代表である首長や議会と専門スタッフへの依存
・自治の原点ともいえる地域コミュニティの崩壊とその容認
・首長が将来像を描けないことや指導力欠如への不信
・全てをうまく導く全知全能の存在が首長だとの誤解
・議事機関である議会機能への疑問
・役所専門スタッフの怠慢と熱意の空回り
・行政機構の恣意性と不透明さ
・税負担と受益の誤解(税の非報償性)
これらを細かく説明する紙面の余裕はないが、これらは、目標のハッキリしている右肩上がりの社会では、さほど目立たない、問題にされないことであったのかもしれない。しかし前述したとおり、第3の改革の中では社会性に根ざした自主性や自立性持つことが必須であり、そのためには、憲法制度上、国民に与えられている自治の権利や仕組みを、形式だけではなく、真の我々のものとして機能させることが不可欠なのである。
=== 自治のメニューとは「情報」である ===
地域にまつわる現状や課題を全く知らない方に、地域の将来像や問題を問うてみたらどうなるだろうか。全く頓珍漢な発言をするかもしれない。あるいは問題の本質を捉えない我田引水的な苦情、要望だけを喋ってしまう。こうした発言に接する役所の職員は、「住民というものは勝手な要望や、無理難題ばかりを言うどうしょうもない存在」と感ずることもあるだろう。事実、こうした危惧を多くの職員が感じている。しかし頓珍漢で我田引水的な発言になる理由はなぜだろうか。
多くの食堂やレストランにはメニューがある。お客さんはそのメニューを見て注文をする。しかし、メニューのないレストランでは、何を注文すべきか判断がつかない。自分が食べたいものを勝手に頼んでも、用意している材料や料理人の得意分野と大きくかけ離れた、的外れな注文となる。メニューのない食堂では、お任せ方式が多く、じつは、これまでの地域づくりは、このレストランに例えることができる。つまり地域の現状はどうなっているのか。課題は何か。他地域と比べて何に優劣があるのか。役所の職員や首長、議会の力量はどうなっているのかなど、ものごとを判断するための材料があまりにも少なすぎた。まさにメニューのない食堂がこれまでの自治であった。
しかし、中央集権的な手法によってある一定程度の社会基盤が確立されたことと、地域課題が複雑化、重層化している今日は、お任せ料理だけでは地域に暮らす喜びや誇りは得られない。財政問題と景気対策に象徴されるように、個別の課題どうしが三竦み状態で、何かを解決すれば何かが悪化するという厳しい選択が多くなってきている。おかませ民主主義では、こうした選択は難しく、無責任な批判だけが横行する。そこで地域の諸条件を知り、自分たちの適正な判断に基づいて、場合によっては自分たち自らが料理をつくることも必要だ。こうすることで初めて、自分たちにとって厳しく嫌な判断も可能となる。
つまり地域づくりや自治のためのメニューの存在が、社会性に根ざした自主性や自立性を育むこと、自ら考え行動するということを実現するのだ。この自治のメニューは、入手可能な食材、経営状況、調理器具の現状、料理人の技量、他の食堂との比較、トップの経営方針など、広い範囲にわたる。自治のメニューとは、地域を取り巻く現状、課題についての「情報」であり、この情報がなければ自治の本質の実現は不可能だともいえる。
こうしたことを念頭にニセコ町では、次のような取り組みを行っている。「予算説明書」の全戸配布、地域の現状や課題を町民とともに学習する「まちづくり町民講座」、町民が数名集まれば町長などが何処にでも出向く「まちづくりトーク」、用事がなくても町長室を訪問できる「こんにちは町長室」、地域づくりの材料となることをめざす「情報公開制度」など。これらの仕組みは、求められてから情報を提供する(狭義の意味での)情報公開というよりは、情報のキャッチボール、すなわちコミュニケーションを軸にした地域情報、自治のメニューの共有化作業といえる。この作業の継続、繰り返しによって地域課題への関心を高め、少しでも自主性、自立性のある自治体を目指しているのである。
地方の時代と言われるようになって久しいが、自治体での取り組みが本当の意味で重視される時代に入った。その理由はなぜだろうか。
国民や地域の課題が多様化しており、中央集権的手法では、必ずしも十分な対応ができなくなっている。そのため住民にいちばん身近な自治体で、住民の目線での取り組みが必要であること。また小規模な自治体では、規模の小ささゆえに新たなことに挑戦しやすい利点があり、変化の時代に柔軟に対応できること。こんな理由から、自治体での取り組みが重視されているのだと感ずるが、この地域での取り組みは、国を変える大きな力にもなっていることを重視すべきだ。
現在、全国各地で、情報公開、参加、評価、新たな財政の仕組みなどについて先進的な取り組みが行われている。これらの多くは国に先駆けて行われているものであり、種々の試行錯誤があるのも事実だ。しかし、こうした先進的な取り組みと試行錯誤の蓄積の総和が、国全体のかたちづくりを誘導している。全国の各地で、新たな挑戦への狼煙(のろし)が上がる。当初、それは一地域だけのユニークと言われるような取り組みに留まっているのだが、それが各地に飛び火する。その結果、国全体として一気には取り組み難い課題について、大きな流れを生み出している。今後は、今以上に各地の取り組みを披瀝し合って学ぶ作業、つまり新たな取り組みを一地域の財産としてないで、飛び火を助長する姿勢が重要だ。いずれにしても、今は、まさに中央集権から地域主権の総和が国をつくる時代と言える。
しかし、中央集権的な視点でものを考え、国の大きなあり方を示すことによって解決を図らなければならない課題も多い。税財源の問題、廃棄物や環境問題、社会保障制度、経済対策、食料問題など、それは多岐にわたっている。つまり国全体を包含する政府、住民に一番身近な市町村政府、そして大きな地域を包含する都道府県政府、これら三つの政府間の果たす役割を十分に考えながら地域づくり、国づくりが進められなければならない。
戦後急速に発展してきた日本の社会には、人間にとって真の価値とは何かを忘れてしまった感がある。まちには、「張りぼて」や「まがい物」が溢れ、そのために多くの財やエネルギーを費やしてしまった。しかし今後は、日本における価値や文化を見直し、投下した財やエネルギーにふさわしい真に実(じつ)のある生き方を模索する必要がある。
地域での情報共有を軸とする身の丈に合った「当たり前の取り組み」が、その一助になるものと信じている。
(以下は、校正漏れもありますが、本原稿の原文です。Voice掲載分は紙面の都合で、一部省略されております。)
1.はじめに
現在の日本の状況を、明治維新、戦後改革に匹敵する「第3の改革」と呼ぶ方が多い。私はこの「第3の改革」は、黒船が来たとか戦争が終わったなどの「明確な切っ掛けがない」こと。また、西欧の文明に学ぶことやGHQなどの指示、指導のような「お手本、牽引者がない」ことなどの点で、従前の改革とは大きく、その質が異なっていると感じている。さらに、戦後50年以上を経て国民の価値観に変化や多様化が見られること、少子化による人口減、経済成長の鈍化縮小を背景とする財政難など、今後の日本の先行きには構造的な変化が求められている。
したがって今回の改革は、自分たち自らが問題意識をもって課題を発見し、自分たち自らの決断と行動でその課題を乗り越えて行くことが必須である。このことは、国と地方、官と民、個人と公を問わず、日本のあらゆる分野において必要なことであり、利己主義的ではない社会性に根ざした自主性や自立性が、ぜひとも必要な状況になっている。
こうした社会状況を育んでゆくためには何が必要なのか、どんな手立てを講ずるべきなのか、それをニセコの自治の現場から考えてみたい。
2. お任せ民主主義からの脱却
憲法第8章には地方自治の原則が定められているが、戦後50年近く、日本の自治体では、必ずしも自治本来の機能を発揮しなくともよかった。それは戦後日本の目指すべき姿が、ある種はっきりしていたことに起因する。つまり、アメリカやヨーロッパを目標として経済復興を軸にしながらまい進してきた。このためには上意下達による中央集権的手法で、日本人全体がほぼ同じ方向を向いて動くこと、働くことが効果的であった。その結果、世界でもあまり例を見ないほどのスピードで国の復興が進み、さらに世界でもトップクラスの経済規模を有する国になった。
しかし、こうした風潮の中では、社会全体の自主性や自立性が抑制される傾向があり、判断や行動の主体が「自己(self)」ではなく「非自己(non-self)」であることが常識化する。つまり自己が主体となって、その活動の総和が社会を支え未来に向かって伸び広がって行くというよりは、非自己に頼る依存的な風潮が社会を席巻していた。この依存の中では、「個人と公の峻別」や「公共性とは何か」などについてきちんとした議論をする必要もなく、逆に議論はわずらわしいことだったともいえる。困ったことが起こり、問題が発生した場合には、誰かがどこかでうまくやってくれるという「お任せ民主主義」が、これまでの実態だったのだ。しかし第3の改革を乗り越えるためには、この「お任せ民主主義」からの脱却が大きな鍵になる。
3.自治の仕組みと本質との乖離
ニセコ町は、現在、人口が約4,600人、農業と観光を基幹産業とする自治体だ。昭和30年代初頭には、人口が9,000人を超えていたが、高度経済成長期に農業者を中心として都市部へ人口が流出し過疎指定となっている。しかし、ここ20年あまりは、観光を中心とする人口の流入もあって、人口の横ばい状態が続いている。こうした町で、私は平成6年に町長に就任した。
私の町長選挙出馬の動機は、「自治の本質」を取り戻し、「自治の仕組み」との乖離を埋めることによって、自治本来の活力で地域の身の丈にあった、実(じつ)のある生活を実現することであった。自治とは、読んで字のごとく、地域にかかわる住民が「自ら治める」ことである。つまり地域社会や地域の生活について、責任を持って自ら考え行動することが、自治の本質であると考える。主体はその地域にかかわる住民であり、その住民が能動的に考え行動することが重要だ。
自治の仕組みとは、この自治の本質を、社会情勢の変化に応じて効果的、あるいは効率的に実現してゆくために色々と準備された制度や機構と考えている。具体的には、自治の主体である住民の代表(首長や議員)、地域の仕事を進める専門スタッフである役所の職員、議会、税や財政制度、コミュニティなど、広範にわたる。
私の問題意識は、自治の本質が発揮されていないことと、自治の本質と仕組みとの間に大きな乖離が生まれており、第3の改革に集約される日本の社会に迫ってくる種々の課題に対処できないということであった。その問題意識を具体的に例示すれば次のとおりである。
・自治の主体である住民の主体性の欠如(お任せ民主主義、無関心など)と、代表である首長や議会と専門スタッフへの依存
・自治の原点ともいえる地域コミュニティの崩壊とその容認
・首長が将来像を描けないことや指導力欠如への不信
・全てをうまく導く全知全能の存在が首長だとの誤解
・議事機関である議会機能への疑問
・役所専門スタッフの怠慢と熱意の空回り
・行政機構の恣意性と不透明さ
・税負担と受益の誤解(税の非報償性)
これらを細かく説明する紙面の余裕はないが、これらは、目標のハッキリしている右肩上がりの社会では、さほど目立たない、問題にされないことであったのかもしれない。しかし前述したとおり、第3の改革の中では社会性に根ざした自主性や自立性持つことが必須であり、そのためには、憲法制度上、国民に与えられている自治の権利や仕組みを、形式だけではなく、真の我々のものとして機能させることが不可欠なのである。
4.自治の原動力は情報
地域にまつわる現状や課題を全く知らない方に、地域の将来像や問題を問うてみたらどうなるだろうか。全く頓珍漢な発言をするかもしれない。あるいは問題の本質を捉えない我田引水的な苦情、要望だけを喋ってしまう。こうした発言に接する役所の職員は、「住民というものは勝手な要望や、無理難題ばかりを言うどうしょうもない存在」と感ずることもあるだろう。事実、こうした危惧を多くの職員が感じている。しかし頓珍漢で我田引水的な発言になる理由はなぜだろうか。
多くの食堂やレストランにはメニューがある。お客さんはそのメニューを見て注文をする。しかし、メニューのないレストランでは、何を注文すべきか判断がつかない。自分が食べたいものを勝手に頼んでも、用意している材料や料理人の得意分野と大きくかけ離れた、的外れな注文となる。メニューのない食堂では、お任せ方式が多く、じつは、これまでの地域づくりは、このレストランに例えることができる。つまり地域の現状はどうなっているのか。課題は何か。他地域と比べて何に優劣があるのか。役所の職員や首長、議会の力量はどうなっているのかなど、ものごとを判断するための材料があまりにも少なすぎた。まさにメニューのない食堂がこれまでの自治であり、お任せ料理を提供することが多かったのだ。
しかし、中央集権的な手法によってある一定程度の社会基盤が確立されたことと、地域課題が複雑化、重層化している今日は、お任せ料理だけでは地域に暮らす喜びや誇りは得られない。財政問題と景気対策に象徴されるように、個別の課題どうしが三竦み状態で、何かを解決すれば何かが悪化するという厳しい選択が多くなってきている。おかませ民主主義では、こうした選択は難しく、無責任な批判だけが横行する。そこで地域の諸条件を知り、自分たちの適正な判断に基づいて、場合によっては自分たち自らが料理をつくることも必要だ。こうすることで初めて、自分たちにとって厳しく嫌な判断も可能となる。
つまり地域づくりや自治のためのメニューの存在が、社会性に根ざした自主性や自立性を育むこと、自ら考え行動するということを実現するのだ。この自治のメニューは、食堂のような完成された料理のメニューばかりではない。入手可能な食材、経営状況、調理器具の現状、料理人の技量、他の食堂との比較、トップの経営方針など、広い範囲にわたる。自治のメニューとは、地域を取り巻く現状、課題についての「情報」であり、この情報がなければ自治の本質の実現は不可能だともいえる。
こうしたことを念頭にニセコ町では、次のような取り組みを行っている。「予算説明書」の全戸配布、地域の現状や課題を町民とともに学習する「まちづくり町民講座」、町民が数名集まれば町長などが何処にでも出向く「まちづくりトーク」、用事がなくても町長室を訪問できる「こんにちは町長室」、地域づくりの材料となることをめざす「情報公開制度」など。これらの仕組みは、求められてから情報を提供する(狭義の意味での)情報公開というよりは、情報のキャッチボール、すなわちコミュニケーションを軸にした地域情報、自治のメニューの共有化作業といえる。この作業の継続、繰り返しによって地域課題への関心を高め、少しでも自主性、自立性のある自治体を目指しているのである。
こうしたコミュニケーションを軸とする情報の共有化の留意点は、「当たり前のことを当たり前に行う」ことである。つまり地域情報、自治のメニューは、自治の主体である地域住民のものであり、原則的に秘匿すべきものはない。自治の仕組みには、専門的な知識や訓練も必要だが、地域には色々な方がいる。自治の問題を専門家だけに理解できる符牒で議論すべきではない。多くの方に理解しやすいコミュニケーションの工夫が必要だ。また課題発見や解決は、自治の主体である、住民の目線、感覚で行う必要がある。これらは、どれもこれも「当たり前のこと」だと感ずるし、「当たり前に行われること」が必要である。
5.決定過程の共有が参加
住民参加の手法を多用すると次のような批判を受けることがある。
住民の意見ばかりを聞いて判断するのであれば、選挙で選ばれたリーダーはいらないし、リーダーの役割や責任を果たしていない。住民の代表として選ばれたのだから、判断に時間をかけないで常に良い方向へ導くのがリーダーの役割だ。
この批判はもっともだと感ずるが、参加には多面性がある。参加とは、住民の意見を伺って、多数意見を採用することばかりではない。住民同士の中に違った考えの方がいることや、多様なものの見方があることを知ることである。つまりお互いの多様性を認識した上で結論を見出す作業である。また、住民の声とリーダーの最終決断が違うこと、これを明確にするのも参加の重要なポイントである。この場合は、リーダーとしての判断や責任がより明確になり、リーダーの資質を測るものさしにもなるものと思う。
つまり自治の現場における参加とは、決定や実施の過程を共有する作業である。この作業によって、地域の課題や地域政策への理解が深まり、愛着や責任も生まれるものと思う。
6.中央集権と自治体からの発信
地方の時代と言われるようになって久しいが、自治体での取り組みが本当の意味で重視される時代に入った。その理由はなぜだろうか。
国民や地域の課題が多様化しており、中央集権的手法では、必ずしも十分な対応ができなくなっている。そのため住民にいちばん身近な自治体で、住民の目線での取り組みが必要であること。また小規模な自治体では、規模の小ささゆえに新たなことに挑戦しやすい利点があり、変化の時代に柔軟に対応できること。こんな理由から、自治体での取り組みが重視されているのだと感ずるが、この地域での取り組みは、国を変える大きな力にもなっていることを重視すべきだ。
現在、全国各地で、情報公開、参加、評価、新たな財政の仕組みなどについて先進的な取り組みが行われている。これらの多くは国に先駆けて行われているものであり、種々の試行錯誤があるのも事実だ。しかし、こうした先進的な取り組みと試行錯誤の蓄積の総和が、国全体のかたちづくりを誘導している。全国の各地で、新たな挑戦への狼煙(のろし)が上がる。当初、それは一地域だけのユニークと言われるような取り組みに留まっているのだが、それが各地に飛び火する。その結果、国全体として一気には取り組み難い課題について、大きな流れを生み出している。今後は、今以上に各地の取り組みを披瀝し合って学ぶ作業、つまり新たな取り組みを一地域の財産としてないで、飛び火を助長する姿勢が重要だ。いずれにしても、今は、まさに中央集権から地域主権の総和が国をつくる時代と言える。
しかし、ここで一つ注意をしたいのは、全ての問題が地域主権で進むわけではないことだ。中央集権的な視点でものを考え、国の大きなあり方を示すことによって解決を図らなければならない課題も多い。税財源の問題、廃棄物や環境問題、社会保障制度、経済対策、食料問題など、それは多岐にわたっている。つまり国全体を包含する政府、住民に一番身近な市町村政府、そして大きな地域を包含する都道府県政府、これら三つの政府間の果たす役割を十分に考えながら地域づくり、国づくりが進められなければならない。
7. おわりに
今の改革は、日本における価値や文化を見直すことだ。戦後急速に発展してきた日本の社会には、人間にとって真の価値とは何かを忘れてしまった感がある。まちには、「張りぼて」や「まがい物」が溢れ、そのために多くの財やエネルギーを費やしてしまった。しかし今後は、日本における価値や文化を見直し、投下した財やエネルギーにふさわしい真に実(じつ)のある生き方を模索する必要がある。
地域での情報共有を軸とする身の丈に合った「当たり前の取り組み」が、その一助になるものと信じている。
「国土交通省への期待」
(日本都市計画学会「都市計画230」2001(平成13)年第50巻第1号)
新生「国土交通省」は、省庁再編論議の段階から巨大官庁であるがゆえに何かと懸念される事柄も多かった。しかし、ここではそれらの課題はともかくとして、そのあるべき姿について簡潔に述べたい。
まず一つは、「国土全体のあり方や社会基盤整備の方向を大きな視点から議論、構築できる総合官庁となること」である。現在、社会基盤整備や税財源の配分について、都市と地方のどちらを優先すべきか、どちらに力点を置くかといった議論を耳にすることが多い。もっと端的に言うと、都市といわゆる地方、田舎が、公共投資や税財源の配分を巡って綱を引き合っている。日本の全体像構築の議論を十分に行わないで、この綱引きを続けることは、単に地域や組織、団体ごとの我田引水的な要望や不毛な議論を助長するだけであり、国家100年の大計に基づくような国づくりからは、どんどん乖離して行く。巨大官庁ゆえのデメリットもあろうが、それを逆手にとって日本全体について大きな議論のできる官庁となることを期待する。
二点目は、「政治の力や判断を十分に発揮させるための条件整備を担う組織となること」である。明治の富国強兵を理念とする日本の国づくりの良し悪しは別にして、あの時代の国をつくる方針やスピードは今も見習うべき点が多い。現在のニセコ町を含む北海道のこの地区の鉄道開通は、新橋と横浜間の日本初の鉄道開通から32年後の1904(明治377)年である。当時の日本の中での北海道に対する印象を勘案すると、(言葉が過ぎるかもしれないが)この北の辺境への鉄道敷設の進度は驚くべき速度と感ずる。もちろん時代背景が違うことを考慮しなければならないが、この明治の勢いを支えていたのは政治の力、決断だったようである。
政治の力とは何かを定義することは単純ではないが、不透明かつ不確定要素の中から国の進むべき進路を明らかにして行くことも、国民が政治に期待することの一つだ。しかし、判断の全てが不明確な根拠の中で決断を行うのであれば、宣託や祈祷などによる古代のカリスマと何ら違いがない。現代の政治の力とは、客観的、科学的な分析や理論構築を十分に行うことを前提として、それでもなお判断のつかないことに進路を見いだすことである。また、たくさんの客観的要件を大なたで大胆に削ぎ落として大きな方針を決めることである。つまり、客観的根拠と不確定な要素のはざまで、優先すべきもの、重点的に力をいれるべきものなどのメリハリをつけることが政治の役割の一つである。こうした政治の力、判断を十分に支えることのできる官庁となることを期待している。
「常識の欠如に絶望感 〜 礼節を重んずる日本はどこへ 〜 」
(読売新聞 北の論点(北海道版)2001(平成13)年4月10日)
アメリカの文化人類学者ルース・ベネディクトが一九四六年に執筆した「菊と刀」は、日本論の名著として高い評価を受けている。私も高校時代に教師から薦められ、訳書に一度目を通したことがある。しかし、あらかじめ教えられていた「恥の文化」という以外、その内容についてあまり明確な記憶や印象が無い。先日、偶然に本棚の隅にあった、その文庫本を久しぶりに手にしてみた。奥付には一九七六年五月二一日と購入日の書き込みがある。何気なくページを繰っていると、礼儀、礼節、忠誠、義理、従順などの言葉が目に飛び込んで来る。相反する性質を合わせ持つ日本人とは言え、その特性の一つが礼儀正しさであったことを改めて感ずる。
列車やバスなどの乗り物には、降りる方が済んでから乗車する。これは小学生でも知っている常識だ。しかしここ数年、こうした常識が全く通じないことに、驚くとともに、絶望感すら覚える。絶望感とはいかにも大げさと思われるかもしれない。
いつの時代も「最近の若者は礼儀がなっていない」などと、若年者の行動を指弾することがある。この言葉の歴史は古く、記録によれば平安時代には既に登場している言い回しらしい。だから仮に、若者たちが列車に先に乗り込むのを見て「最近の若者は」と眉をひそめる人が多くとも、ある種、その言葉は社会全体の習い性のような側面も否定できない。ところが最近、社会の習い性などとはいえない場面に頻繁に遭遇する。列車に先に乗り込むのは若者ばかりではなく、本来「最近の若者は」と口にすべき世代の方がとても多い。北海道ではこうした場面はまだ少ないが、たまに出張する大都市圏では、老若男女を問わず、列車もエレベーターにも、降りる人より先に乗り込むのは当然といった雰囲気がある。一体いつからこんな状況が生まれたのか、私には定かではない。しかし日本の将来を思うと、こうした場面を見るたびに、私は絶望的な気持ちに襲われる。
この礼節の欠如は、空港のカウンターや列車の切符販売窓口などの、公共の場では当たり前のことのようだ。挨拶もなしにいきなり用件を切り出し、用件が終わると、お礼や辞去の言葉もなく人が立ち去る。何とも殺伐とした光景だ。私のそれほど多くない海外での経験から判断すると、エレベーターでは、先に乗っている人に会釈をすることも多い。公共の場面で人々は、用件の始まりと終わりに必ずといってよいほど挨拶を交わす。しかし日本では、たまに挨拶をする人がいると、逆にまだるっこしいのだろうか、迷惑そうな態度を取る人も多い。
礼節の国「日本」は、既に礼節の国ではないのだろうか。貴重な新聞紙面を利用して、このようなことを書かなければならない日本の現状を悲しく感じている。
「北大の風」
(北海道大学広報誌「リテラ・ポプリ」2001(平成13)年3月春号 No.7)
私は、卒業後、すぐにニセコ町役場に就職した。これは、多くの友人たちも予想しなかったことだと思う。学んだことや自分が思い描いていた将来像とは違う事務系公務員になって、正直なところ私自身にも相当の戸惑いや迷い、そして後悔があった。
地元にある国立総合大学という、なんとも安易な理由で私は北大に進学した。「九州に住んでいたら九大に進んだ」と友人たちに話すと、口を揃えて「お前はどこにいても北大の風に憧れたはずだ」と反論される。北の大地やクラーク精神に憧れて来た友人達が、道産子の私のことをなぜそんな風に思うのか分からないし、彼らが思う北大の風とはどんなものかもよく分からない。しかし、なるほどあの四年間は、勉強、サボリ、遊び、友人、音楽、本、酒、アルバイトなど、何もかにもが張りに満ちていた。
大学を卒業して二〇年近くが経過した。この間の迷いやある種のあきらめから救ってくれたのは、今では自分の職の専門外となってしまった北大での4年間だったのではと感ずるようになっている。無駄で怠惰な時間も勉強も全てに意味があり、その蓄積が今の基礎になったのだろう。あの4年間の偉大さに今、改めて驚いている。そして、あの頃の友人達の分析を鋭いと感ずる。
時代が変わり大学にも変化が求められていると言う。しかし北大には、その得体の知れない魅力「北大の風」を失わずに、多くの迷える若者の「しるべ」であり続けて欲しい。
「世紀末から新世紀、時の流れの中で」
(財務省北海道財務局「北海ざいむ」2001(平成13)年初春号 No.84)
西暦一九〇〇年代から二〇〇〇年代へ突入してから早くも一年が経過して、今はもう既に二一世紀です。世紀末から次の世紀へ単に突入したというばかりではなく、千年単位の大きな時代の区切りなのです。しかし、一九九九の次は二〇〇〇、その次は二〇〇一と数が重ねられること、これはとても当たり前のことで、冷静に考えると特別に取り立てて言うほどのことでもありません。二〇世紀の次には二〇世紀が来ることだって、単純な数字上の順番です。
時間の流れは、人類の約束ごととは別に過去から未来へ向かって淡々と進んで行きます。二一世紀になったからといって、私たちの生活がガラリと様変わりするような大転換が、急激にやって来るものでもありません。切っても切れない連続の中で、時間が進んで行きます。そんな醒めたものの見方をしていると、世紀末だ、新世紀だとの世間の浮かれ騒ぎがばからしく見えることもあります。こんな風に相当な天邪鬼ともいえる気持ちを持った私ですが、世紀の変わり目には感慨もあります。
一九七〇年代のなかば、私が高校生の頃、自分は生きて二一世紀の社会を迎えることができるのだろうかと、ちょっと感傷的になったりもしたものです。実際に二一世紀に生きているとしたら私は四一歳です。四一歳の自分なんてものは、その頃には想像もつかないことです。もっと言えば、二〇年以上も先の自分を考えることは、何か恐ろしいものを見るような感覚があり、できれば避けて通りたいと思ったものです。世紀の変わり目や将来といえば、空想科学小説のように、人類の多くが宇宙で暮らすとか、空飛ぶ自動車ができるということを考えるのも一般的かもしれません。しかし、高校生のある種の青臭い生意気さのためでしょうか、世の中はそんなにバラ色ではないとも感じていました。その反面、あと20数年も経てば癌の特効薬が完成しているかもしれないなんてことには、淡い期待を抱いていたものです。(実際は、やはりそんなにバラ色ではないようでしたが・・・。)
こんな風に、人為的につくられた時代の区切りに対してある種の冷静さを装いつつ反発している自分なのですが、結構この時代の区切りに翻弄されていることにも気が付きます。事実、こうした文脈の文章を書こうとしていることが何よりその証明です。
世紀の変わり目であることに関係があるのかどうか私には分かりませんが、私の暮らしている社会は、今、大きな壁にぶち当たっています。少子化、財政難、経済成長の鈍化、食料問題、環境問題、教育問題など、戦後改革を通して50年以上にわたって走りつづけた歪(ひずみ)なのでしょうか、ありとあらゆる分野で課題が指摘され、それを克服する処方箋が論じられています。またここに挙げた具体的な分野ごとの困難とは別に、たくさんの要因が複雑に絡み合い、解きほぐすことが極めて難しい人の心の問題も横たわっています。人の心の有り様が変化し社会の質 |