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記事・資料 2005年1月〜12月

新聞や雑誌などへの寄稿を掲載しています。

逢坂誠二の丁々発止「タヌキ」((有)ナチュラリー「faura」2004(平成16)年秋号)
「流氷」(読売新聞北海道版コラム「しまふくろう」 2004(平成16)年10月22日)
逢坂誠二の丁々発止「屑、そして星」((有)ナチュラリー「faura」2004(平成16)年秋号)
「綺羅街道を育てる」(社団法人日本土木工業会「建設業界」2004(平成16)年9月号通巻628号)
「ロシアの冬景色」(読売新聞北海道版コラム「しまふくろう」 2004(平成16)年1月31日)
「情報と社会教育」(国立教育政策研究所社会教育実践研究センター メルマガ「社研通信」第4号 2004(平成16)年11月19日)


逢坂誠二の丁々発止「タヌキ」
((有)ナチュラリー「faura」2004(平成16)年秋号)

 私の実家は、酒やタバコ、食料品や日用雑貨を扱う商売をしていた。昔風だと「よろずや」だし、今風だと「コンビニ」の機能を持った田舎の店だ。最近では、ほとんど聞かれなくなった言葉だが「御用聞き」による「配達」も、小さな逢坂商店の売りの一つだった。
配達は、私にとっては厄介なものだ。ちょっとでも暇そうにしていれば、即、配達を命ぜられる。子供時代は、家にいる限りは基本的に暇なわけだから、常時配達体制だった。私には、それが嫌で仕方がなかった。

 40年近くも前のことになる。

 遠く離れた農家の玄関内に、タヌキの小さな檻があった。初めてその家を訪れたとき、それがタヌキだとは気が付かない。犬でも、猫でもない。もちろんウサギやキツネではない。不思議そうに檻を眺める私に、「タヌキだよ、タヌキ。クサイだろう。」と、その家の親父が声をかける。

 どんな家でも、家には独特のニオイがある。玄関に入ったとたんに、その家特有のニオイが鼻から脳の奥に伝わる。そのタヌキの家にも独特のニオイがあった。改めて「クサイだろう」と言われてみると、確かにクサイ。家の持つニオイとは別の、屁のようでもあるが、たとえようのないニオイだ。

 タヌキは、寝たふりをするとか、ポンポコと腹をたたくとか、漫画チックなイメージが強い。事実、そのタヌキにも(もちろん漫画と同じではないが)、どことなくユーモラスな雰囲気があった。以来、その農家へ行くのが楽しみになった。配達を命ぜられても「ああ、あのタヌキの家ね」と腰が軽くなった。

 周囲を野山に囲まれたニセコで生まれ育った私だが、それほど多くの野生哺乳動物を見て育ったわけではない。ウサギやリスを見ることはあったが、タヌキに対面したのは、そのときが初めてだ。このことは、周囲に人家の少ない農家の同級生たちも、私と似たり寄ったりだった。田舎といえども哺乳類に遭遇する機会などは、それほどは多くはなかったのかもしれない。

 いつの頃からか、その状況が一変した。

 道路脇でキツネを見かけるのは日常になってしまった。ニセコ・羊蹄地域は、農家人口が減少し、原野化した耕作放棄地も少なくない。その点で、人間とタヌキなどの接点は少なくなって良いはずだが事実は逆だ。

 タヌキやキツネとの遭遇の機会が増えていることを顕著に証明する事実がある。

 ここ数年、早朝に十数キロはなれた隣町との往復が私の日課になっている。自家用車を運転しての往復だ。

 たった十数キロ往復の途上では、毎朝たくさんのタヌキやキツネが死んでいる。多い日は7、8匹もの死骸を目にする。夜の間に、車に轢かれて死ぬタヌキやキツネの数が異常に多いのだ。十数年前と比較して、交通量がそれほど増えているわけではない。道路に出てくるタヌキやキツネが多いのだと思う。

 農地の原野化が進む反面、タヌキやキツネと人間との接点が増えている。人里に食料があることを獣たちが知っているのだろうか。それとも我々人間が、自然に対して過度のかかわりを持つようになっていることが理由なのだろうか。その科学的根拠や理由は分からないが、確実に何かが変化している。

 ニセコという小さな地域に長く暮らし、また毎日同じ活動をしていると、変るもの、変らないものが良く見える。この定点観測の事実が伝えるメッセージを、私たちは真摯に受け止めなければいけない。

変化は、タヌキやキツネだけではない。

 タヌキやキツネの死骸があるとカラスが群がって来る。カラスたちによって、亡骸は無残にも切り刻まれてしまう。これが当たり前の光景だった。ところが近年、タヌキやキツネが死んでいても、かつてほどカラスが群がる様子がない。轢死したタヌキやキツネの死骸は人間が移動させるまで、そのままのことが多い。カラスの世界にも何か、大きな変化が起きている。

 この変化は、何を意味しているのだろうか。

「流氷」
(読売新聞北海道版コラム「しまふくろう」 2004(平成16)年10月22日)

 10月初旬、紋別市で流氷の話を聞く機会がありました。流氷の発生から消滅のメカニズム、物理的性質、流氷の功罪など、専門性の高い内容です。

 流氷一筋に打ち込んだ研究者の解説は、流氷を知りつくしているためか、素人の私にも大変分かりやすいものでした。特に、地球環境の変化によって流氷の量が減っていることなどを、熱っぽく語る姿には、専門的な難しさを超越した感動すら覚えたものです。

 オホーツク海沿岸では、35年間に渡って北大のレーダーによる流氷観測が行なわれました。この研究は、流氷以外にも広く地球環境全般に関し、数々の成果を挙げたのです。ところがこのレーダー観測が中止され、このほど研究施設が閉鎖されました。老朽化施設の更新費用を捻出できないことが理由です。

 国立大学が独立行政法人化され、研究面での費用対効果が厳しく求められています。長年の地道なデーターの積み重ねは、即物的、即効的な効果とは無縁の研究です。しかし、積み重ねが大きな成果をもたらしたことを忘れてはなりません。

 あらゆる問題を費用対効果で切り分ける私たちの社会は、いつか大きなしっぺ返しを受けるのではないかと感じています。この冬、オホーツクの流氷を眺めながら、このことを深く考えてみたいと思っています。

逢坂誠二の丁々発止「屑、そして星」
((有)ナチュラリー「faura」2004年秋号)

 「屑(くず)」という言葉がある。手元の辞書には、「(くだけたり、ちぎれたりして)不用になったもの。不用になって捨てるべきもの。」とある。類義語は、ごみ、ちり、反故、がらくた、廃品、瓦礫、残骸などだ。「必要な部分をとりさった残り」との意味もある。類義語として挙げられるのが、かす、木っ端だ。こんな意味もある。「(比喩的に)何の役にもたたないもの。できの悪い、つまらないもの。」「屑」は、立ち上がることもできない侮蔑的な言葉で、上司から「お前は人間の屑だ」なんて言われた日には、明日から出勤拒否をしてしまうかもしれない。

 辞書には、屑のすぐそばに「愚図(ぐず)」という語がある。意味は「動作・決断などがにぶく、何事にものろのろすることや人。態度をはっきりしないことや人」だ。字面から受ける印象以上にその「ぐず」と言う音には、悪い雰囲気が漂う。

 屑は、嫌な概念を担っている上に、音が愚図にも通じ、二つの酷いイメージがある。この漢字一文字が背負っている不幸を思うと、ちょっと変かもしれないが、「屑」のくせにすごい奴とも思ってしまい、妙に感心したりする。

 前置きが長くなった。実は「星」のことを書きたかった。あの綺麗な星とこの醜悪な屑が結びつくと、まったく別の意味合いになってしまう。この不釣合いが不思議で、星屑は子供のころから気になっている言葉の一つだ。

 アポロ11号に乗って人類が月面に初めて立った、あの驚愕の出来事は私が小学校4年生のときだ。冷静に見ると、不器用でなんともぎこちない月面での人の動きだったが、当時は家族揃ってテレビの画面に噛り付いた。そのころ私は天文の世界にグイグイと惹き込まれていた。火星の接近、月食、日食、彗星や流星群の到来など、天文に関するハイライトがあると、特に心が躍ったし、小学生だというのに何度も徹夜した。あの先生が好きだという、天文学者個人に対するファン心理まで生まれ、将来は天文学者になりたいと思っていた。

 その私の願いを知った父から「そんな社会の役にたたないものになって何になる」という意味のことを言われたことがあった。その言葉があったために天文学者をあきらめたわけではなかったが、結局は、その道には進まなかった。天文学者になるためには相当な才能が必要であり、私にはそれが無いためにあきらめたのが真実だ。

 天文学者は兎も角として、「社会の役に立つ」というこの言葉が、それ以来、私の喉に刺さった魚の骨のようになっている。社会の役に立たない仕事はしちゃいけないのかとか、逆に全ての仕事がちゃんと社会の役に立っているのかなどと反発する気持ちがあり、今もそのことがちょっとしたトラウマだ。

 天体望遠鏡で、初めて土星の輪を見た。冬も近い晩秋、ニセコでは霜が降りそうな、そんな夜だったが、その寒さをものともせず、望遠鏡から離れられなかった。図鑑などに出ている輪を伴った土星が手に取るように見えるのだ。あの三十年前の感激は今も鮮明だ。

 羊蹄山から見た星空。天の星の数があんなに多いことを知ったのは、あの時だ。土砂降りの夜間登山だった。山小屋で休憩し、湿った衣服を乾かして、雨上がりの外へ出た。満天に散りばめられた星、星、星。目が痛くなるほどに強い光を放つ、大小の星、星、星。星屑の意味を本当に実感したのはあの時だ。

 社会の役に立たないと指摘された星空だったが、私の星空にまつわる思い出は少なくない。今になって、この思い出が、私の生きる力になっていると感ずることがある。打算的なモノや利益、効率などだけが、人生にとって有効なのではないのだろう。

 そういえば最近は、あの本当の星屑に、しばらくお目にかかっていない。

「綺羅街道を育てる」
(社団法人日本土木工業会「建設業界」2004年9月号通巻628号)

 ニセコ町市街の中心に「綺羅街道」がある。延長約七〇〇m、歩車道合わせて全幅二三mの道路空間だ。電線が地中化され、景観にも配慮されている。

 ニセコ町は、周囲をニセコ三山(羊蹄山、ニセコアンヌプリ、昆布岳)に囲まれ、町の中心部を清流日本一の「尻別川」が流れる風光明媚な町だ。スキー、アウトドア体験や温泉などを楽しむために年間三百四十万人ほどの観光客がニセコ地域を訪れる。しかし、ニセコ町内の中心街路は、歩道がないばかりか道路空間も狭く、観光地にふさわしいものではなかった。

 一九八八年頃、この街路の整備を望む声が出た。しかし、その実現手法も分からず、それは夢のようなものだった。この夢を現実に引き寄せる行動を起こしたのが商工会のメンバーだ。関係者宅を一軒ずつ訪問し、街路整備の意義を説明した。それは気の遠くなるような作業だったが、この説明によって関係者の大部分がこの街路整備に賛成し、新しい街路の実現に向けて動き出すこととなった。しかし、本当の困難はここから始まった。

 ニセコにふさわしく、自分たちが実現したい街並とは何かなど、基本的な考えが全くまとまらない。良い街並を実現したいとの漠然とした思いがあるのみで、議論百出、方向が見出せない。町にとって大事業であり、国内はもとより海外の事例を勉強に行く町民もいる。数多くの有識者を招いて講演会も開催した。しかし、勉強をすればするほど、侃々諤々の議論となる。街路樹は必要だが除雪の妨げになるから自分の家の前には植えないで欲しいと虫の良い意見も出る。事業手法も決まらないままに、年間九〇回もの会合が開かれた年もあった。

 良い景観を創出すことは総論賛成だが、自分の店舗の広告は制限されたくないなどの意見も依然と多く、途中で議論が決裂する可能性さえもあった。熱心さのあまり口論に発展する場面もあったが、やっと事業手法が決まり、実現が具体性を帯びたのは、話し合いを開始してから六年を経過する頃だった。

 関係者が自己主張だけをしていたのでは、良い街路景観を実現するのは難しい。たとえ自己所有のものであっても公共空間にさらされることを考えて整備する必要があるなど、長い話し合いの結果、我々は多くのことを学んだ。結局、街路のハードが完成したのは、話し合いを開始してから、なんと十三年目だった。

 現在、この綺羅街道では、さらに魅力ある街路空間を創出するために、花フェスタやフリーマーケット開催などの取組みが進んでいる。ハード完成時の景観を保持し、さらに向上させるために景観ウォッチングなども行なわれ、綺羅街道を育てる作業が現在進行形だ。

 「街路整備はハード事業の完成が終わりではない。そこからが本当のまちづくりの始まりだ。」これは、長い話し合いから我々が得た教訓だ。綺羅街道を育てる作業は、今日も続いている。

「ロシアの冬景色」
(読売新聞北海道版コラム「しまふくろう」 2004(平成16)年1月31日)

ヒトの頭とは不思議なものです。あまたのことを考え巡らし、思い描きます。

何かを考えようと真剣になると、あまりたいしたことが思い浮びません。反面、何も目的のない場面や、別のことをしているときに、良い考えがとっさに浮かぶことがあります。しかし、残念なことにそれらの多くは忘れてしまいます。

ロシアの荒涼とした大地の凍てついた湖や川を飛行機の窓から眺めています。寂しさと悲しさのため、無為の境地にたどり着いたような気になります。

通路の反対側にも、窓外の風景を眺めている人がいます。見覚えのある顔ですが、誰なのかは思い出せません。乗務員によれば何か物を書く仕事をしている方らしいとのことです。

彼は、5分か10分、あるいはもっと長い時間に一度、きっと集中して手元の小さな帳面にメモを取ります。私の脳にも、様々な考えが浮かんでは消えますが、それらはすべて、エンジンの轟音とともに記憶の外に流れて行きます。同じロシアの風景を眺め、同じ感覚を共有しても、そこから生み出される具体には、大きな差があります。

 ヒトの脳と心は、あまた凡百の働きをします。しかし、それを具体的な形にできるかどうか。これが、凡庸と聡慧の差なのだと、ロシアの凍てつきはてた冬景色が語っています。

「情報と社会教育」
(国立教育政策研究所社会教育実践研究センター メルマガ「社研通信」第4号 2004(平成16)年1月19日)

 少子化、経済の縮減と財政難、国際情勢の不安定化、環境問題への対応など、日本の社会はこれまでにない極めて困難な状況に陥っている。この難局をいかに乗り越えるべきか、我々は大きな岐路に立っている。

 過日、第43回総選挙が行なわれた。マニフェストという新しいタイプの政権公約が喧伝され、政権選択の選挙と目された。日本の将来をどうすべきかを国民が選択する、重要な政治参加の場だ。

 しかし、この機会に参加した有権者は、6割に満たなかった。不在者投票条件の緩和や、投票時間の延長など、投票を容易にする方向への環境整備が進んでいるにもかかわらず、こんな低投票率にしかならない。最近では、有権者の3割も投票に行かない選挙もある。1945年の完全普通選挙の実現までの間、参政権を獲得するために、この国で多くの挑戦があったことを思うと、なんとも嘆かわしく、民主主義の危機とも感ずる。未だに普通選挙の実現のために、世界の各地で戦っている人たちがいることを思うと、我々はなんとも身のほどをわきまえない、もったいないことをしているのだと思う。

 ニセコ町のまちづくりの基本は、情報共有と参加を土台にして、責任をもって自ら考え行動することだ。

 地域の過去を学び、現状を知り、将来を判断するための情報がなければ、適正な問題意識を持つことはできない。問題意識のないところに、能動的かつ建設的な参加は生まれない。参加のないところで、責任を持って自ら考え行動するという自治の実現はあり得ない。つまり「情報は自治の原動力」なのだ。

 しかし、情報は気まぐれだ。それを必要とする人にその存在が良く見え、情報に対する感度の低い場面では、情報は見過ごされがちだ。単に情報が存在しているだけでは自治は機能しない。情報に対する気づきの力を高める必要がある。それは地域のことについての繰り返しの学習だ。生活の息づかいを感ずることのできる身近な課題について、年代をこえて蓄積を高めてゆくこと、これはまさに、社会教育的な実践活動といえるものだと思う。

 自治は民主主義の学校と称されるが、身近な自治を機能させることが健全な民主主義を育む。身近な生活を問題意識の出発点とする、社会教育的な学びのプロセスを抜きにして、日本の投票率が底堅く上がる見込みはないのだろう。


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